洞窟のスマホと失われた孤独
- 准教授
- 福田 篤志
- ふくだ あつし
- 放射線科学、放射線計測学、X線装置出力測定、患者・術者被曝線量測定
数年前、家族で洞窟を見に行ったことがある。電気のない真の暗闇を体験できる貴重な機会である。「いざ照明を消します!」とアナウンスがあり、真っ暗闇になった数秒後、参加者の一人がスマートフォンを取り出し、画面を明るくしたことによって、その洞窟ツアーのハイライトは、何とも言い難い空気のまま幕を閉じた。数秒の間であったとしても、その参加者は孤独から逃げ出したくなったのかもしれない。
先日、「退屈に耐え切れず、何か刺激やコミュニケーションを求めてしまう、いわば、自分自身と過ごすことができない状態は孤独の喪失である。」と書かれた本に出合った(1)。その本では、ハンナ・アーレントの言葉を引用しながら、「孤独とは沈黙の中に自らとともにあるという存在の在り方」と説明していた。孤独にあるとき、私たちは自分自身と対話するように「思考」している。言い換えるとアーレントは、この孤独こそが「自分に起こるすべてのことについて、自らと対話する」という思考を実現するものだと捉えたのだ。著者の言葉を拝借すると、洞窟でスマートフォンの画面を光らせて顰蹙を買った参加者は、「沈黙の内に自らとともにある」ことができなかった、ということだろう。
高校生の皆さんは受験勉強に向けて日々大変な思いをしているのではないか。国語や物理・化学、数学では解答が本当にこれでよいのか、分かったつもりでもどこか納得できない、いわば「消化しきれなさ」や「もやもや」が残ることがある。納得に行きつくまでの有望な助手は、おそらく孤独の中の思考だろう。思考力を鍛えるということは、孤独をコントロールする術を身につけることと同じである。
GPSによるナビゲーションシステムの普及に伴い地図が読めない人が増えたように、答えをすぐに欲しがるような、タイムパフォーマンス(タイパ)やコストパフォーマンス(コスパ)の追及は、孤独の喪失を加速させ、私たちの思考力を奪っていく。この思考の成熟に影を落とす効率主義の流れに抗うには、あえて立ち止まり、暗闇の中で自分自身と対峙する「孤独」という武器が必要なのだ。「もやもや」と一人向き合う受験生の皆さんの孤独な時間が、確かな力へと変わることを願っている。
1) 「増補改訂版 スマホ時代の哲学」谷川嘉浩、ディスカヴァー・トゥエンティワン(ディスカヴァー携書)、2025年