放射線健康管理学講座 助教 伊東 尚美
人権や暴力に対して厳しく、この国の弱者に寄り添う社会システムは、どうやら日本とは根底から異なっており、それは日本より30年進んでいると人から聞いて、なるほどと身をもって実感したカナダ生活でした。結婚生活が破綻し子連れで帰国、大きいスーツケース2つと子を前に抱っこした姿が大変そうに見えたのでしょうか、実家のある郡山駅で新幹線を降りた時、誰かがスーツケースを持って助けてくれました。帰国翌日から帝京大学大学院公衆衛生学研究科に新幹線で通学を始めました。講義や実習の数々、様々なバックグラウンドの仲間たちはとても刺激的でした。高橋謙造教授(帝京大学)とのご縁をいただき、福島県富岡町の乳幼児健診データを用い、原発事故後の子どもの肥満傾向をテーマに研究を進めました。避難や帰還、仮設住宅など、生活環境の大きな変化が子どもたちの健康に及ぼす影響を「データ」として初めて目の当たりにしたことは、大きな学びでした。
そのご縁から、立谷秀清市長(相馬市)をご紹介いただき、相馬市の保健師として勤務する機会をいただきました。東日本大震災と原発事故後、被災地域を歩いて住民の声を聞きながら保健師として働く中で、「土地への愛着(あるいは執着)がこんなにも強いのか」と何度も感じ、私の中で一つの視点が明確になっていきました。それが、「Aging in Place(住み慣れた地域で、自分らしく、最期まで暮らす)」という考え方であり、学術的に深く掘り下げたいという思いにつながりました。
このテーマは、福島の現場での実践と経験を通して私の中に深く根づきました。博士課程に入学し坪倉正治教授(放射線健康管理学講座)のご指導のもと、相馬井戸端長屋(災害公営住宅)での調査を実施し、入居者の生活状況や社会的つながり、健康影響について分析、その成果は英語論文として国際誌に発表することができました。これは、災害後の長期的支援の在り方を公衆衛生の視点から問い直す研究でもあります。
現在は、放射線健康管理学講座に所属し研究に携わっています。現場を訪ね歩く中で、原発事故後の地域で起きている社会的状況や健康影響について学術的なエビデンスにして発信しなければ、という思いに至り、学位論文にまとめました。原発事故後の旧避難指示区域であった福島県葛尾村をフィールドに、避難の長期化に伴う生活環境の変化が健康状態に影響を与え、それがさらなる帰還判断に影響を及ぼすという循環的な関係性を明らかにしました。これは、災害後の復興過程における健康支援の重要性を示す新たな知見と思います。さらに、本研究では量的調査と質的調査を組み合わせた混合研究法により、数値データだけでは把握できない住民の生活実態や価値観の変化を含めたより包括的な実態把握ができたのではと考えています。
一方で、ひとり親として子育てと仕事を両立するのは現在も容易ではありません。3歳の子を連れて相馬市に移り住みフルタイムで働き始めた頃は、生活だけで手いっぱいで、自分のパソコンをしばらく開く余裕すらありませんでした。頼れる親族もおらず、細い綱の上を歩いているような毎日。ひとたび災害が起きれば、真っ先に生活が立ち行かなくなる――自分自身が「災害弱者」であることを令和元年の台風で身をもって痛感しました。それでも子どもは、金曜の夜に発熱しても月曜には回復するという不思議なパターンで、まるで母を気遣うかのようでした。
学位取得はゴールではなく、自分の思いを社会につなげるための道具といえるかもしれません。研究は時に孤独で、生活との両立に悩むこともありますが、現場で感じた課題を学術に昇華させることは何にも代えがたい価値があります。これから学位取得を目指す方に伝えたいのは、「完璧な条件がそろうのを待つ必要はない」ということです。タイミングを見逃さず、出会いを大切に。踏み出せる一歩は必ずあります。学位という道具によって、自身の言葉や行動は、私自身、これまでよりずっと遠くまで届くようになるんじゃないかと思っています。