ふくしま子ども・女性医療支援センター 特任教授 小川 真里子
福島県立医科大学の後輩に伝えたいこと

2024年4月から、ふくしま子ども・女性医療支援センターの特任教授として着任しました。専門は産婦人科、なかでも女性ヘルスケアといって、月経随伴症状や更年期障害などの女性特有の疾患や心身症の診療を得意としています。今回「ロールモデル集」への原稿依頼をいただきましたが、我ながら、どう考えても、自分はロールモデルでは無いように思います。しかし一方、反面教師としては、何かしらお役に立てるかもしれない、との思いで筆を執りました。
私は1995年に福島県立医科大学医学部を卒業し、(当時は臨床研修制度がなかったので)その後すぐ、慶應義塾大学の産婦人学教室に入局しました。もともと東京出身であったこと、先輩の先生が熱心に勧誘してくれたことなどが主な理由でしたが、正直、目前の国家試験のことで頭が一杯で、あまり深く考えていませんでした。なお、産婦人科を選んだ理由は、女性であることがメリットになる唯一の科であると考えたからです。今にして思うと、乳腺外科や泌尿器科のほうが、もっと女性のメリットを活かせた気がしますが、当時は外科や泌尿器科の医局に女性が入局することが、ほぼ無い時代でした。
大学時代は試験前以外に勉強するなんてことは考えも及ばず、2年生に上がるときは仮進級、国試もギリ合格という低レベル加減でした。そのため、慶應なんてハイレベルっぽいところに行って、自分は大丈夫なのか心配でしたが、意外と何とかなりました。ある意味、いろいろな大学から人が集まっている多様な場所でした。
慶應産婦人科では医師4年目(現在ではもう少しあと)に、一律に自分の所属する研究室を決める、という風習がありました。自分としては、やはり産婦人科の華である周産期や、福島医大学生時代に医学祭で関わらせてもらった生殖(不妊治療)を専門にしたかったのですが、ここで壁に当たりました。当時は所属する研究室に、同期がまんべんなく散らばらなければいけなかったのです。度重なる同期間の話し合いの結果、私は希望と異なる、更年期医学の研究室に入ることになりました。2000年以前の日本の更年期医学では、研究テーマは骨粗鬆症と脂質異常症の二択でした。私は当時の指導教官の指示で、閉経後の脂質異常症について研究することになりました。とはいってもガツガツ論文を書くような雰囲気もあまりなく、フワフワと生きていました。(※今にして思えば、上司は論文を書いていたのですが、我々助教の意識が低すぎたのかと思います。)そうは言っても、皆で国際学会に行くなど、楽しくやっていました。
慶應産婦人科医局では同期の間でも大学院に行く人はわずかで、留学も本人が強い希望があるときに、自分から働きかけて留学先を探すことが多かったので、特に研究にモチベーションを持たない自分は、敷かれたレールに従い、大学での勤務をこなしてからは、関連病院の常勤医師として、ほぼ臨床オンリーの日々を送っておりました。
人生のベクトルが変わっていったのは、この後です。最初に派遣された関連病院は分娩が多く、すなわち分娩に関するトラブルも多く、勤務しているうちにすっかり心が折れてしまいました。分娩以外のことも学べる病院への異動を希望し、赴任することになった先は、先の更年期医学研究室の指導教官であった先生が部長をされている病院でした。そしてそこは、大学病院の体もなしていました。
勤務先が変わってからも、自分自身は相変わらず、ただ水面を漂う船のように、そのとき与えられた役割をこなしていましたが、上司が女性ヘルスケア業界の重鎮でしたので、それらの役割には、ときどきかなり重要なものが混じっていました。また、時代が動き、女性の活躍が声高に叫ばれるようになり、女性特有の疾患への注目が集まってきました。この分野の専門家が少ないこともあり、何かとチャンスが降ってきました。一つ一つのチャンスに、臨床医視点を欠かさず、そしてなるべくオリジナリティを加えて向き合うようにしてきたところ、各地の講演に呼んでいただいたり、共同研究や学会の仕事などにお声がけいただいたりするようになってきました。
私の専門とする女性ヘルスケアの分野は、すべての女性が関連するものなのに、今ひとつ理解が進んでいない分野でもあります。福島県内も含む、全国の女性が適切な医療を受けられるようにするためには、まだまだ様々な働きかけが必要であり、各所に声を届けられる立場でいることが必要です。そのために、大学にいることに意味がある場合もあります。
計画的偶発性理論(Planned Happenstance Theory)によると、「個人のキャリアの8割は予想しない偶発的なことによって決定される」のだそうです。もちろん自分の目標とする医師像を持ち、それに向かって計画をたて、必要なことを一つ一つ積み重ねるのは、とても大事なことだと思います。しかし、偶然得たチャンスに対して全力で向き合うのも、人生を転換させる結果につながるかもしれません。
私はすでに50代半ばになりましたが、今になってやっと、勉強や研究は楽しいと思っています。この年になって福島県立医科大学に戻ることができ、やっと福島に貢献できるとワクワクしています。医大の後輩の皆さんには、ぜひ、今を楽しく生きつつも、ある日突然転がってくるチャンスには、全力で向き合う準備をしていだければ、と思います。