EMERGENCYMEDICAL SERVICE救急医療

災害医療

『東日本大震災を乗り越え、次の災害へ』

福島県は、これまで多くの大災害に見舞われました。1888年の磐梯山噴火では、日本赤十字社による本邦初となる災害医療が行われました。福島県立医科大学では年に災害医療チームであるDMATが結成され、2011年の東日本大震災などで活動を行っています。また、2020年のCOVID-19の流行では基幹病院として、重症者の治療を行っています。

COVID-19(2020-2021年)

高度救命救急センターにはICUに2床、HCUに2床の陰圧室があります。また全ての病室を個室運用しているため、最大10名を受け入れる体制を取っています。2階北病棟と協力して県内の重症度の高いCOVID-19患者を入院する体制で、特に重症度が高いと見込まれる患者は高度救命救急センターで治療します。軽症から中等症の患者は呼吸器内科、中等症から重症患者は救急科で担当し、最新の論文から治療マニュアルを作成して最善の治療を行っています。当院におけるCOVID-19の治療の始まりは、横浜港のダイアモンドプリンセス号からの2名の外国人からでした。その後県北地区のクラスターで発生した重症患者を受け入れ、人工呼吸やECMOを用いて全国屈指の集中治療を行っています。

北海道胆振東部地震(2018年)

2018年9月6日未明に発生したM6.7の地震に対し、反町助手、坂本看護師を含むDMATチームが、発災当日の6日から10日まで活動拠点本部のある北海道苫小牧市に派遣されました。本チームは地震の被害の甚大だった厚真町の隣町の鵡川町内の病院支援を行いました。地域住民の震災関連疾患による受診のため病院機能が逼迫しており、その援助が主なミッションで、この病院の活動本部運営も行いながら、他地域から集結した他のDMATとも協力して救急外来の運営、病院周辺病院の避難所の調査を行いました。病院で定期的に行われた会議にも参加し、そこで挙がった近隣の老健施設がライフラインの破綻による機能逼迫といった情報を入手し、同施設への援助を迅速に行いました。これは熊本地震でのDMATの経験が生かされた活動でした。

熊本地震(2015年)

4月16日~20日まで塚田助教、反町助手、小賀坂看護師等で構成されるDMATチームを派遣しました。福島医大DMATが東北8チーム40人のリーダーとして活動し、大分県竹田市の病院にて活動拠点本部の運営を行いました。
初期の活動は主に阿蘇地域の被災状況の把握に努め、必要な医療ニーズに対して地域の自治体からの情報も得ながら必要な医療提供を行いました。地域の高齢者が集まり、運営機能が破綻しかかっている被災した特別養護老人ホームから迅速な患者搬送を遂行しました。
活動の後半は阿蘇医療センターで熊本県阿蘇医療圏DMAT活動拠点本部を設置運営し、被災地内病院支援・搬送調整・避難所調査・保健所支援等を行いました。続々と集結するDMAT隊に対し活動の割り振りを行い、周辺地域の被害状況が明らかになるにつれて続々と医療ニーズが挙がる渦中での活動は、他のDMAT隊との協力連携の大切さを改めて強く感じる活動となったことは言うまでもありません。

ネパール大地震(2015年)

4月25日に4月25日にネパールで発生した地震による被害のため、5月1日から7日まで現地にて伊関教授と矢野助手で医療救援を行いました。震源地に近い郡立病院HDCS-Lahmjung District Community Hospitalで地震による骨折、負傷などの症例や緊急帝王切開の全身麻酔や手術補助を行いました。また、震源地であるGorkha郡の山間部にあるKhatri村で巡回診療に当りました。

東日本大震災(2011年)

3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震による東日本大震災は、地震、津波、そして原子力災害により、死者1600人強、避難者10万人強と福島県に甚大な被害をもたらしました。高度救命救急センターは、福島県庁DMAT調整本部立ち上げ、福島医大DMAT活動拠点本部設置、多数傷病者受け入れ、放射線汚染傷病者受け入れ、ドクターヘリ参集拠点等の役割を担いました。
福島県庁DMAT調整本部では県内外の医療機関や、行政、消防、警察、海上保安庁、自衛隊などの緊急対応機関との連携調整業務を担いました。
福島医大DMAT活動拠点本部には全国から350人強のDMAT隊員が集結し、緊急対応機関と連携し傷病者受け入れや搬送調整を行いました。
大学病院には震災発生3日目までに224人(軽症181人、中等症36人、重症6人、他1人)が搬送され、DMATや院内各科の協力を得ながら傷病者を受け入れました。特に福島第一原子力発電所事故による放射線汚染傷病者を医療者や病院施設を放射線汚染から守りながら傷病者の治療をしました。
当時、全国で26機配備されていたドクターヘリのうち9機が福島医大に参集し、ドクターヘリ通信指令室が参集ドクターヘリをコントロールしました。そして宮城県や岩手県にも参集ドクターヘリを派遣しました。東日本大震災は想定外で未曽有の大災害でしたが、高度救命救急センターの救急医が組織力を発揮して乗り越えました。