リュージュ(龍樹)の伝言

第4回:オンタリオ州ロンドンにて

2012/12/01

 2012年11月30日金曜日。カナダ、オンタリオ州ロンドンでは、気温が氷点下まで下がり小雪が舞っていた。ウェスタン・オンタリオ大学(UWO)のキャンパスにあるUniversity Collegeと呼ばれるひときわ高い塔には半旗が掲げられていた。1968年カナダで初めての家庭医療学講座がここUWOに設立された。その最初の主任教授、「カナダ家庭医療学の父」と呼ばれ、カナダのみならず世界の家庭医療学の発展に貢献したIan Renwick McWhinney先生の告別式が、ロンドン市中心部にあるセント・ポール大聖堂で営まれた。

 

 20年前に私がIanのもとで学んだことは第2回の「伝言」で述べた通りで、そのIanにお別れをするために私はロンドンにやって来た。古くからの友人であるMoira Stewart教授(家庭医療学研究所前所長)、Thomas (Tom) Freeman教授(家庭医療学講座前主任)夫妻のお宅にホームステイさせてもらって、Ianとの数々の思い出を語り合った。

 

 告別式の進行役に加えてウィリアム・ワーズワースの詩を朗読するMoiraと弔辞を述べるTomとともに私も早めに大聖堂に着いて、細々したことを手伝いながら、久しぶりにお会いするIanの二人の娘さんHeatherとJulieとも懐かしい話を共有できた。告別式では、司祭さんがIanの本を読んでいて、それを引用しながら、物事を部分の集まりとしてなく全体として捉えることが重要であり、いかにIanの生涯が全体として私たちに影響を与えているかを話された。HeatherとJulieが父親を語るスピーチは、Ianの思い出にあふれており、参列者の涙と微笑みを誘った。Ianは現役時代最後に緩和ケアの主任もしていたが、当時の看護師長さんが語った「患者中心の医療の方法」に基づいたIanの回診の様子は心にしみる話だった。

 

 告別式に引き続いて開催されたレセプションもとても心温まるものだった。子供のころからのIanや家族のたくさんの写真が展示されていて、それらは私の胸を打った。それらが全体として示すIanの生涯は、哀悼や惜別の念を超えて、私に勇気と希望を与えてくれた。Ianの人柄に影響されて生きてきた人々はみな、やさしく、親切で、思いやりがあり、慎み深く、寛大だった。久しぶりで再会する人も多く、突然「お帰りなさい、リュウキ!」と声をかけてくれたのは20年前にIanの秘書をしていたBetteだった。ずっと覚えてくれていたのだ。Ianのもとで最初に研修を修了したJohn Sangster先生にも20年ぶりに再会した。私がバンクーバーのUBCでレジデントだった時のUBC家庭医療学講座の主任だったCarol Herbert教授も再会を喜んでくれた。Carolはその後UWOの医学部長を務めた。かつてカナダ家庭医学会のCEOとしてWONCAでも活躍したReg Perkin先生ご夫妻も私の日本での仕事を激励してくれた。

 

 レセプションの後で、TomとMoiraがごく親しい友人と一緒にIanのお気に入りだったレストランでの夕食に招待してくれた。そこにはIanから講座主任を引き継いだBrian Hennen教授(後にマニトバ大学医学部長)夫妻もいらしていた。さらに驚いたことに、Ianをカナダで最初の家庭医療学の教授としてUWOへ招聘した立役者で、当時医学部長だったDouglas Bocking教授が隣の席に座っていらして親しくお話しすることができた。92歳とは思えない若々しさで、当時のカナダの大学に家庭医療学講座を作ることがいかに困難であったか、でもその後のIanの大学、医学、社会への貢献が素晴らしく、それを自分がいかに誇りに思っているかを熱く語ってくれた。

 

 まだまだ書ききれないほど充実した一日だった。Ianとともにカナダの家庭医療を作り上げて来た人たちとの人間味あふれる交流はこれからも続く。彼らが福島の、そして日本の家庭医療の発展を見守り、応援してくれている。はるかかなたでの告別式であったにもかかわらず、大きな力を得て帰途につくことができる。



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