リュージュ(龍樹)の伝言

第5回:家庭医か、総合医か、総合診療医か

2012/12/08

 日本では、プライマリ・ケアを専門に担う医師の名称が定まっていない。日本医師会が「家庭医」に強いアレルギーを持ち続けているのは、1985年に旧厚生省がその言葉を懇談会の名称として使用したからであろう。国民に必要な家庭医の専門性の議論と診療報酬制度とが強引に結び付けられて、「家庭医」という名称はフリーアクセスと出来高払いに対する脅威のシンボルにされてしまった。

 

 本年8月31日に発表された「専門医の在り方に関する検討会」の「中間まとめ」でも、「総合的な診療能力を有する医師」の名称については宙に浮いた書き方だ。『「総合医」、「総合診療医」、「一般医」、「プライマリ・ケア医」、「家庭医」などの定義を明確にした上で、国民にとって分かりやすい名称、例えば「総合医」に統一して整理することについて』引き続き議論が必要としている。もし、世界保健機関のThe World Health Report 2008 『Primary Health Care: Now More Than Ever』などでも世界的に再認識されてきている「ヘルスケア・システムにおけるプライマリ・ケアの役割とそれを担う医師の専門性」についての議論が今後も含まれなければ、どの名称を採用するかは単なる言葉の遊びになりかねない。

 

 言葉の意味は、歴史的な目で見て初めて良く理解できる。General practiceという言葉は、19世紀初頭に雑誌『The Lancet』の中で初めて使われた。これは18世紀の米国で生まれた医療に対する名称だった。当時、新しい植民地での医療に対する多大な需要から、医療者は医科大学卒業生であるか否かに関わらず「general practitioner(一般医)」として診療したのである。ヨーロッパと北米では、19世紀は一般医の時代だった。医療専門職の大半が一般医で、医学部の教官の間にも役割の区分はほとんどなかったという。

 

 その後、20世紀前半には医学の主要な専門各科が生まれて次々と専門細分化が進行し、一般医の数は低下の一途をたどった。その歴史には光と陰があるが、深刻な影響のひとつが医師-患者関係の崩壊だった。したがって、専門細分化の時代が頂点に達した時に世界のいくつかの場所で人々が新しいジェネラリストの必要性に気付いたのは偶然ではない。

 

 新しいジェネラリストは古い一般医とは区別される必要があった。彼らの行う医療はもはや専門研修と認定制度を欠いた未分化な医療ではなくて、独自の専門性と必要な技術が定義され、それにしたがって発展を遂げていくものになった。こうして、新しいパラダイム、家族、地域、行動など多くの特徴と専門的教育プログラムを持つ独立した専門分野として「general practice」が生まれ変わったのである。日本ではこのようは歴史はほとんど知られていない。

 

 新しい専門分野が生まれた時に、言葉の伝統を重んじる英国はじめオランダ、オーストラリアなどでは、意味の違いを認識したうえで、「general practice」と「general practitioner」を使い続けた。ここでの「general practitioner」は、英語は同じでも、その意味の違いを考慮すれば日本語では「一般医」ではなくて「総合医」と訳すのが適当だろう。一方、カナダ、米国、香港、シンガポールなどでは、「新しい専門分野には新しい名称を」ということで、診療には「family practice」、専門医には「family physician」を使うようになった。日本語ではそれぞれ「家庭医療」「家庭医」と訳せる。世界家庭医機構(Wonca)では、専門医の名称については「general practitioner」と「family physician」の他に「family doctor」も用いている。こちらも「家庭医」と訳せる。この分野の臨床研究や教育が発展するにしたがって、学問としての体系につける名称が必要になり、現在は海外どこでもそれを「family medicine」と呼ぶ。これには「家庭医療学」という日本語が適当であろう。

 

 世界では、名称が異なっていても、それらが意味するものの価値と役割は同じものとして共有されている。その価値と役割を自国のヘルスケア・システムにいかにうまく組み込むかに、それぞれ知恵を絞っているのだ。日本が、いつまでも名称の議論にとどまっていてはいけない。国民のプライマリ・ケアのニーズに応える質の高い専門医の養成へ向けて、国を挙げた取り組みを強力に推進させるべきだ。

 



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