リュージュ(龍樹)の伝言

第9回:ウクライナのソーセージ

2013/01/05

 料理は私の趣味のひとつである。ゲストを呼んで一緒に食べるのが好きで、ゲストから評判が良いのは餃子、パスタ、かきフライ、パエリアあたりだろうか。年に一度は当講座のみんなを自宅に招いての夕食会も開くので、どうしても大人数に対応できる料理になる。餃子は満州育ちの父から教わった北京風。パスタは各種作るが、年に一度北海道寿都産のエゾムラサキウニをふんだんに使って作るウニクリームパスタが好評である。かきも食べる日に合わせて寿都から直接送ってもらう。パエリアはホットプレートや電子炊飯器でも作れるが、あえて直火にこだわりパエリア鍋を回しながら美味しい「おこげ」作りに挑む。

 

 年末に家内の両親と親しい友人3人を招いてラザニアを作った。久しぶりのラザニアだ。ちなみに私のラザニアに細かいレシピは無い。他の料理でも同様で、ゲストと自分が好きな味になるように勘を働かせて作るだけだ。だから、料理の出来は標準化されていない。時に「イタリア料理界を震撼させるような」極上品ができることもあるし(笑)、凡庸に仕上がることもある。ソースはボロネーゼを基本としつつ、パプリカ、セロリ、マッシュルーム、茄子、玉ねぎ、ほうれん草など、その時入手できる野菜をふんだんに使う。大地の恵みをいただけるという爽快な気持ちで色とりどりの野菜を刻むのは楽しい。しかも健康的だ。

 

 ラザニアを作り始めたのは、1990年、カナダのバンクーバーで家庭医療を研修していた時だ。そして、その時の私のラザニアには欠かせない食材があった。日本にいて残念なのは、それが容易に手に入らないことだ。その食材とはウクライナ産のソーセージである。

 ウクライナのソーセージはミセス・バシュークの思い出につながる。私がUBC(ブリティッシュ・コロンビア大学)の教育病院のひとつで老年科のローテーションをしていた時に、ミセス・バシュークは肺炎で入院していた。確か85歳ぐらいだった。肺炎の原因が分からず、治療も奏功していなかった。老年科からのコンサルテーションで感染症専門医や呼吸器専門医が入れ替わり立ち代わり彼女の病棟にやって来た。しかし病室の彼女に話しかける医師はまれで、ほとんど病棟のナースステーションで検査データを吟味しているだけだった。ある時点で、彼らは「もうこれ以上検査や治療をしても仕方がない」という意見を残して去って行ってしまった。

 

 当時UBCには、家庭医療学専門医課程を修了している老年医学専門医の指導医が何人かいた。幸いにも私は、そのような指導医で、日本でもよく読まれている「プライマリ・ケア老年医学」(原題「Protocols in Primary Care Geriatrics」)の著者であるJohn P. Sloanに直接師事していた。内科のひとつとして位置付けられている老年科であっても、Johnは私にあくまでも家庭医であることにこだわって人間的なケアを患者と家族に継続することを教えてくれた。

 

 臓器別専門医たちがもう興味を失ってしまった彼女の病室に毎日出かけて行く私を、ミセス・バシュークは「ようこそ、私のエンジェルちゃん!」と言って迎えてくれた。もうかなり衰弱していたにもかかわらず、好んで故郷ウクライナの話を私にしてくれた。「ユクレイニアン・ソーシッジ」と言われて最初は何の事かわからなかった、ウクライナ地方に伝わるソーセージがどんなに美味しいかと言う話を何度も聞いた。カナダではウクライナからの移民も多かったので、スーパーマーケットに行くとすぐにウクライナのソーセージを見つけることができ、豊富なスパイスを混ぜて燻製にした芳醇な味わいは、すぐ私のラザニアになくてはならない主役の食材になったのだ。

 

 ミセス・バシュークを看取った後で、彼女の家族から感謝の言葉とともにウクライナのソーセージをいただいた。それを使ってラザニアを作った時に、ミセス・バシュークが話してくれたウクライナの草原の景色が見えた気がした。



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