リュージュ(龍樹)の伝言

第10回:八重の桜

2013/01/12

 今年のNHK大河ドラマ『八重の桜』が始まった。主人公・八重役の綾瀬はるかさんと、八重の兄・山本覚馬役の西島秀俊さんのフレッシュな演技が、時代に翻弄される若い群像の中で輝く。

 

 『八重の桜』は、幕末から明治維新、そして近代日本という激動の時代を駆け抜けた新島八重(1845-1932)とその仲間たちの物語だ。会津藩砲術師範の家に生まれ、戊辰戦争では会津若松の鶴ヶ城に500人の女たちと立て籠もり、断髪・男装して自らスペンサー銃を持って戦った。籠城戦に敗れてすべてを失ったが、兄・山本覚馬を頼って京都へ出て、後に新島襄の妻として同志社の運営を助け、さらに日本初の篤志看護婦として日清・日露戦争に従軍している。

 

 1月6日(日)に放送された第1話では、「ならぬことはならぬものです」という『什(じゅう)の掟』がテーマだった。会津藩士(上士)の子息は6歳から10歳まで、町内を区域ごとに分けた「什(じゅう)」というグループに入って育てられた。そこでの「掟」が『什の掟』である。

 

 一方、会津藩の大人たちには、彼らの守るべき士風を定めた『会津藩家訓(かきん)十五カ条』があった。この『家訓』は、会津の藩祖・保科正之が1668年(寛文8年)に定めたものである。『家訓』第六条には、「家中、風儀を励むべし」とある。風儀とは文化のことである。士風という精神的慣習がつくりあげられ、それを洗練させることを尊ぶ文化だ。

 

 私は、2006年、福島県立医大に赴任した当初からこの「家中、風儀を励むべし」を引用して、「地域を基盤とした家庭医療の臨床教育を福島で発展させたい。将来それが福島の『文化』になってほしい」と語っていた。今でもその願いに変わりはない。

 

 「ならぬことはならぬものです」という掟は、何かをねだる子どもに対して大人がそれを拒否しても、子どもはそのことに理屈抜きで従い我慢しなければならない、という教え(しつけ)として一般には理解されているだろう。しかし、『什の掟』を『家訓』とペアで読み解くと、そこには別の意味が浮かび上がってくる。

 

 『家訓』第十二条には、「他人と意見が違った場合、腹蔵なく意見を述べて争うべき」という意味の教えがある。だから、「ならぬことはならぬものです」とは、自分と相反する考えの持ち主に対しても断固ひるまず論争を挑み、「駄目なものは駄目なのだ」と相手を説き伏せる不退転の決意を持って事に臨め、という教えが隠されているのである。正しいことを正しいと主張し、それを貫くために自分を磨くことを教えられながら、会津藩の子どもたちは育てられたのだ。

 

 このような「風儀」に生き、そして「風儀」に殉じた会津藩。刻まれた歴史の陰翳は深く暗い。運命は過酷だ。しかし、フクシマに生きる私たちが誇るべき光もあるはずだ。幕末の日本に会津藩という存在がなかったら、日本人を信用することもできなかったし武士道もこれほど深いものにはならなかっただろう、という意味のことを作家の司馬遼太郎さんが語っているのを聞いたことがある。

 

 大河ドラマ『八重の桜』がそのような光を放ち、私たちを励ましてくれることを期待している。

 



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