リュージュ(龍樹)の伝言

第12回:源氏物語 浮舟

2013/01/26

 今日の福島県内、特に会津地方は大雪である。郡山と会津地方を結ぶJR磐越西線と高速道路の磐越道は閉鎖され、そこを利用する高速バスのダイヤも午前中は大幅に乱れ、ついに午後になって運休に至った。あいにく今日は、毎年恒例となっている会津大学と本学大学院医学研究科が合同で開催する大学院博士課程「医療IT」の講義・演習の日にあたっており、コーディネーターをしている私ははらはらしていたが、会津大学の陳教授、朱准教授には大変な交通事情の中、本学に来て興味深い講義をしていただいた。心より感謝したい。

 

 雪が降るとどうしても思い出すのは、2011年3月11日の大災害が起こってから数週間で降った雪の景色である。まだ灯油も売られてない時で、寒さに震えながら外の景色を眺めていたものだ。私は、郡山駐屯地からやって来る自衛隊の人たちと毎日一緒に太平洋沿岸の通称「浜通り」と呼ばれる地域へ通っていた。福島第一原子力発電所から20~30km圏内にいる自力で移動困難な人たちの状態を把握してケアをするというミッションを遂行するためだ。福島市にある本学から自衛隊の救急車で出発すると、雪によって大部分が白い風景が、阿武隈山地を越えて浜通りに入るにつれて白い部分が少なくなり、海に近い地域へ行くともうそこには雪はなく、津波がすべてを持ち去った黒と灰色の裸の地面が続いていた。来る日も来る日も、色彩の無い寒い世界にいた。

 

 そんな私の気持ちが救われたのは、実は、しばらくして新橋演舞場で観ることができた歌舞伎のお蔭だった。数々の幸運と人々の好意でそれは実現した。福島から東京への旅が長くながく感じられたものだ。

 

 中でも私の心を捉えたのは『浮舟』(北條秀司作・演出、齋藤雅文演出)だった。歌舞伎『浮舟』は昭和28年(1953年)、明治座で初演された。『源氏物語』の『宇治十帖』を基にしつつ、新しい解釈で浮舟と彼女を取り巻く都の人物像を描いている。第一幕で、東国育ちで(おそらく福島あたりだろうと想像した)無邪気な少女として描かれる浮舟だが、後半で成長した浮舟は複雑な三角関係に悩む。そして第五幕、心と身体が引き裂かれるほど苦悩した浮舟は、とうとう悲しみの末、宇治川の中へ入水していく。

 

 『浮舟』の最後の場面で宇治川のほとりにたたずむ浮舟。静まり返った川面は細い月からの冷たい光を映し青みを帯びた銀色に浮き上がっていた。ある時点から、私はその静謐な舞台の風景に、地震と津波で破壊された浜通りの景色を重ね合わせていた。人も家も草木も、すべてが運び去られた黒と灰色の廃墟の中に、すくっと立っている浮舟だけが美しい色彩を帯びていた。天と地を結ぶ存在感。「いったいこれは…」

 

 大災害が起こってから、こんな鮮やかな色彩を見たのは初めてだった。忘れていた色彩のある世界。なんと美しいのだろう。目頭が熱くなった。そして力が湧いてきた。お芝居の筋としてはこれから死のうとしている浮舟の絶望感がクライマックスに達する場面ではあるが、私には、大変な状況にいるにも拘らず、死と隣り合わせの淵にいてもなお希望を失わない女神のように映っていた。ヴィクトル・ユーゴ―の小説『レ・ミゼラブル』、そしてかつてロンドンで観たそのミュージカルのコゼット、さらにウジェーヌ・ドラクロワの絵画『民衆を導く自由の女神』のマリアンヌなどのイメージも浮かんでは来たが、日本の歴史・文化・風土の中で洗練された美は圧倒的だった。

 

 この時の舞台で素晴らしい浮舟を初役で演じたのは、五代目尾上菊之助さんである。菊之助さんとは、以前から親しくさせてもらっており、その後実際に福島の被災地で直接私たちを励ましてもらうことになるのだが、その話は今後の「伝言」として取っておこう。

 



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