リュージュ(龍樹)の伝言

第14回:健康で暮らすこと

2013/02/09

 私は医学生時代からの映画好きだ。趣味が高じて映画を使った医学教育もかれこれ18年間続けている。「Cinemeducation(シネメデュケーション)」と呼んでいる。今でこそ、日本でも映画を医学教育に使っている人を見かけるようになってきたが、1994年にこの革新的な医学教育法として公開されたオリジナル版シネメデュケーションに学会のランチョンセッションで出会って以来、自分の家庭医療教育の現場で使えるように工夫してきた。

 

 10分程度に編集した映画のクリップを観た後で、そこに描かれたものについて参加者が自由にディスカッションする。ただそれだけの仕掛けだが、映画の持つパワーによって参加者は実に多くのことを発言してくれて、ディスカッションは盛り上がる。

 

 子供が病気になった時の両親の気持ちについて学ぶなら、どんな講義よりも映画『Lorenzo’s Oil(ロレンツォのオイル/命の詩)』(George Miller監督、1992年、アメリカ映画)を使ったシネメデュケーションの方が優れているだろう。病気になった患者の視点でものを考えることを学ぶなら映画『Le Scaphandre et le Papillon(潜水服は蝶の夢を見る)』(Julian Schnabel監督、2007年、フランス・アメリカ映画)、言葉の持つ癒す力と勇気を理解するなら映画『Invictus(負けざる者たち)』(Clint Eastwood監督、2009年、アメリカ映画)、という具合だ。

 

 100本以上ある私のシネメデュケーション・ライブラリーについては、いずれこの『伝言』でもいくつかを披露する機会があると思うが、今日は、最近たまたま最初から最後まで観かえすチャンスがあったので、かつてシネメデュケーションに使ったこともある映画『SiCKO(シッコ)』(Michael Moore監督、2007年、アメリカ映画)について書きたい。

 

 このドキュメンタリー映画では、医療をビジネスとして利潤を追求する米国のHMOs(health maintenance organizations)の問題が痛烈に提起されている。HMOsは、病院などの医療施設を経営もしているが、利用者にとっては一種の会員制民間医療保険である。まずHMOの会員になる(保険に加入する)のが大変である。既往歴、家族歴などが厳しく審査され、できるだけ病気になりにくい人しか加入できない。保険料が安くないこともあり、医療保険を持っていない人が全米で約5,000万人いるという。健康な暮らしをすることが基本的人権とは考えられておらず、自由を尊ぶ社会通念のもと「健康を金で買う」ことも自由選択のひとつと考えられているかのようだ。

 

 ひとたび病気になるとさらに大変だ。HMOsが認める診療項目のみが保険でカバーされ、それ以外は自費で行うか、診療をあきらめざるをえない。ある癌の化学療法が「まだ実験段階である」と認可されずに夫を亡くした人や、事故で指を2本切断したのに高額な医療費のため1本の指の手術をあきらめた人などが映画に登場して証言する。あるHMOに保険審査医として勤めていた医師が、患者からの保険請求をあの手この手で退けて自分が昇進していった過去を悔いる姿も描かれる。

 

 2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件後にニューヨークのグラウンド・ゼロ(ワールド・トレードセンターの跡地)でボランティアとして活動した消防隊員らは、ニューヨーク市の正規労働者ではなかったために保険がなく、その後発症した呼吸器疾患の診療にかかる高額の医療費に苦しんでいたことも伝えられた。

 

 こうした医療の在り方と対比して、健康で暮らすことが基本的人権として認められ、そのために助け合う社会の医療制度を持つ国の例として、カナダ、英国、フランス、そしてキューバが描かれる。もしこの映画を作ったマーケル・ムーアが日本へやってきたら、日本の医療をどのように描くだろう。

 

 圧巻はマイケル・ムーアが9.11後のボランティア活動で罹患し保険が無いため苦しんでいる人たちをキューバへ連れて行くところだ。キューバでは保険の有無や外国人であることと関係なく、必要な人には必要なケアが提供された。キューバの消防隊員が9.11の英雄を温かく迎えるシーンは感動的だ。

 

 もちろん、公的保険、国営医療と言っても、医療には費用がかかるし、医師も含め医療のさまざまなプロセスで働く人の賃金も必要で、その財源をどうするかという現実的な問題がある。この映画を観て改めて考えさせられたことは、ひとが健康で暮らすことを基本的人権としてどう守るのか、その難しさだった。



リュージュ(龍樹)の伝言
カテゴリ
見学・実習希望
勉強会開催予定
フェイスブック公式ページ

pagetop