リュージュ(龍樹)の伝言

第24回:翻訳―Ianとの対話

2013/05/11

 だいぶご無沙汰してしまってすみません。ホームページにプログラム上のバクがあって、以前の『伝言』が消えてしまったり、修復に時間を要したり、いろいろなことがあった。

 

 でも、このひと月近く、多数の別のプロジェクトが同時進行していた。最も力を入れていたことは、カナダの恩師 Ian(McWhinney名誉教授)とTom(Freeman教授)の著書『Textbook of Family Medicine』第3版(上巻)の翻訳の最終校正を終えたことだ。いよいよ来週末には『マクウィニー家庭医療学』として出版される。ちょうど日本プライマリ・ケア連合学会の第4回学術大会が仙台で開催されるので、その会場に並ぶはずだ。楽しみである。

 

 思えば、Ianの本の翻訳を考えたのは、最初に彼の下で家庭医療について学んだ1992年のことで、もう20年前のことである(『伝言』の第2回、第4回参照)。20年かかってしまった。と言っても、20年間ひとつの本を訳していたというのではない。

 

 20年前に『A Textbook of Family Medicine』の初版と著者Ianと出会い(この時彼は謙遜して不定冠詞をタイトルに冠している)、その翻訳を考え始め(1992年~)、まず日本で家庭医療学を学ぶ人たちがいなければその翻訳の価値は実感できないので、日本の家庭医を育てる仕組みを作るのに5年かかり(~1997年)、その後「家庭医療学の本なんて売れない」と多くの日本の出版社から相手にしてもらえない「冬の時代」がさらに10年近く続き、ようやく、小さいながらも家庭医療学の価値を認めてくれた出版社(旧永井書店東京店、現ぱーそん書房)の高山さんと山本さんに出会うことができた。幸運だった。

 

 まず日本語で家庭医療の本を出版させてもらい(『スタンダード家庭医療マニュアル』2005年)、その売れ行きがまずまずだったことと、日本でもようやく家庭医療に興味を持ってくれる若い人たちが徐々に増えてきたので、その出版社からゴーサイン(ただし上・下巻に分けて、上巻が売れれば下巻も刊行するという条件つき)をもらえた(2007年)。

 

 その時原書は第2版(1997年出版)になっていたけれど、しばらくして2009年に『Textbook of Family Medicine』第3版が出たので(ここでは出版社の意向で書名の不定冠詞が削除された)、再度原書の出版元Oxford University Pressに翻訳権を交渉し、全部翻訳しなおして今回の原書第3版の上巻の出版に漕ぎつけたというわけである。時代が変わり、ぱーそん書房とOxford University Pressからも下巻も含めたゴーサインをもらえている。できるだけ早期に下巻も出版したい。

 

 まあ、長い旅であったには違いない。この本は、家庭医としての、そしてそのシステムを構築しようとする者としての私の歩みに常に寄り添ってくれた。困難や壁に遭遇するたびにこの本を紐解いた。本書のその段落で、その文章で、その単語で、そして行間に、Ianが何を伝えたいのか、その深い意味を考えた。Ianだったらどうするだろう、と考えた。正しいことをし続けることの価値感を教えられ、その点から眺めると視界が開けた。

 

 翻訳もそのような思考の繰り返しだった。多くの日本人にとって(たとえ英語が堪能であっても)Ianの英文は難しい。丁寧に吟味された言葉を使って膨大な古今の人類の知恵と自らの深い考察を語るからである。私はいわばIanと対話を繰り返すようにして、考えに考えながらゆっくりと翻訳を進めて行った。数日考えた末に突然、「あ、Ianはこう言いたかったんだ!」と目が開かれることもあった。彼が亡くなった後も、こうして彼と対話を続けることができる自分は幸せだと思う。

 

 今回一緒に翻訳を手伝ってくれた北海道家庭医療学センターの草場鉄周先生も、そのような楽しみを味わったに違いない。原書の共著者であるIanの弟子にあたるTomも、日本語版への素晴らしい心温まる序文を書いて送ってくれた。カナダと日本で、Ian McWhinneyが築いた家庭医療学の価値観を次世代の人たちに伝えていくことは、Ianを直接知りその薫陶を受けた私たち3人の重要なミッションだ。

 

 こうして、一握りではあるけれど、志のある人たちとの共同作業により、一緒に「手作り」で完成させた日本語版『マクウィニー家庭医療学』が、日本の医療を真に利用者のために改革していこうという人たちの心の琴線に触れることを心から望んでいる。



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