リュージュ(龍樹)の伝言

第46回:巨星墜つ

2015/06/20

「EBMとは、個々の患者のケアについての意思決定過程に、現在得られる最良の根拠を良心的、明示的、かつ思慮深く利用することである。」(Evidence based medicine is the conscientious, explicit, and judicious use of current best evidence in making decisions about the care of individual patients.)

 

「EBMの診療は、個々の臨床専門知識・技術と系統的な研究で外部から得られる最良の臨床の根拠とを融合させることを意味する。」 (The practice of evidence based medicine means integrating individual clinical expertise with the best available external clinical evidence from systematic research.)  

 

 もう20年近く前、1996年1月13日発行のBMJ(British Medical Journal)のEditorial『EBMとは何か、そして何でないか(Evidence based medicine: what it is and what it isn't)』の中にこのように書いた人がいる。David L Sackett先生だ。そのDavidが先月13日に亡くなられた。享年80歳。ご冥福を祈りたい。[日本語は葛西訳、原著はBMJ 1996;312:71.]

 

 私とDavidとはBMJの編集委員会の「同僚」だったので、何回か彼と会って話す機会に恵まれている。2000年から2010年ごろまでのことだ。それぞれBMJの編集委員会が開かれるロンドンから遠いカナダと日本にいるので、毎回2人とも出席するわけではないが、1〜2年ごとに2人が揃って出席する時は、なぜかいつも席が隣同士になった。席順が決まっているわけではないので単なる偶然なのだが、気が付いてみるとDavidが隣にいて「やあRyuki、元気かい」「やあDavid、久しぶり」という感じで編集委員会が始まる前におしゃべりしたものだ。彼は若かった私に対しても優しく温かく接してくれた。穏やかな語り口には思慮深さとスケールの大きい情熱が感じられた。タイトルにEBMを付けさえすれば内容の質と無関係にその本が売れるというあきれた出版界の傾向や、日本の医療が一方で標準化に遅れ他方でエビデンスが患者から離れて一人歩きしていることを大いに憂いていた。

 

 「巨星墜つ」という表現は三国志の英雄などに使うのだろう。Davidは諸葛亮孔明のような軍師でもなく、野心や権力を志向するイメージとはかけ離れている。でも、Davidの死を知ってその喪失感を言語化するために私が思いついた言葉は「巨星墜つ」だった。彼が医学医療に遺したものの大きさと意味の深さを考えると、彼はそれに価する。BMJとAnnals of Internal Medicineによる『Evidence Based Medicine』を始めたのも、JAMAの『The Rational Clinical Examination』シリーズに発展する『Users’ Guides to the Medical Literature』を出版したのも、コクラン共同計画(Cochrane Collaboration)を始めたのもDavidなのだ。

 

 ただ、それ以上に彼が私たちに教えてくれたことで忘れてならないのは、医師が医療をする上で最も大切な態度であり、科学者や教師がとるべき行動の規範である。前者については、EBMは臨床研究の批判的吟味を超えたもので、研究エビデンスに医師の臨床能力と患者の価値観・意向を加えて考慮する重要性を説いている。患者との共通の理解基盤を見出す患者中心の医療の方法に重なる。後者については、有名なエピソードであるが、「10年間エキスパートをしたらそれで辞めるべきだ。さもないとエキスパートの意見が重視されすぎて、新しい考えが育たない」として、Davidは1999年に「今後EBMについての講義も執筆も研究もすべてをしない」と宣言してその通りにしている。

 

 最初に私をBMJの編集委員に指名してくれたのは、当時編集長だったRichard Smith先生で、今回その彼がDavidの追悼文をBMJに載せている[BMJ 2015;350:h2639 doi: 10.1136/bmj.h2639 (Published 14 May 2015) ]。Richardならでの複眼的視点からDavidの半生を述懐していて(追悼文に対して不謹慎な表現かもしれないが)読み応えがある。

 

 その追悼文に書かれたエピソードであるが、1995年のThe LancetのEditorial [1995 Sep 23;346(8978):785]の心無いEBMへの批判に心を痛めて、その反論として書いたというのが冒頭の論文だ。EBMにしても“Choosing Wisely”にしても、一時のブームやお作法であってはいけない。ケアにおいて何を最優先するのか。その達成のために、困難な現実の中でもブレることなく、医師のプロフェッショナリズムを良心的、明示的、かつ思慮深く発揮することだ。



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