AI時代に外国語を学ぶ意義

台湾で買い物をした時に店員とスマホの翻訳機能を使ってやりとりしました。簡単な商品の説明や値段を聞く程度なら何の問題もありませんでした。AIの進化はめざましく、これからは外国語を勉強しなくてもいいのではないかと錯覚するほどでした。しかし、私は外国語を教える立場として、やはり外国語を学ぶことはこれからも必要だと思います。なぜなら、言葉は単なる意思疎通の手段ではなく、相手を理解するためのものだからです。

確かにスマホがあれば、世界のどこへ行っても最低限の意思疎通は可能ですし、スマホの翻訳機能はさらに進化していくでしょう。しかし、言葉は単なるツールではなく、アイデンティティであり、他者や異文化に興味を持つきっかけでもあります。日本語を話さない誰かと友達になりたい時、スマホを使えば交流できるかもしれません。でも、その人が身近になり、もっと仲良くなりたくなったら、多くの人は「スマホ無しで直接話をしたい」と思うのではないでしょうか。そのためには最低限、実質世界の共通語である英語をお互いに身につけることは大切だと思います。

さらにもし特定の国や文化に興味があるなら、その国の言葉を学ぶことで世界が大きく広がります。私はアメリカにいた頃、韓国の留学生たちと英語で話をしていましたが、彼ら同士の会話は当然韓国語でした。私が加わると英語に切り替えてくれるのですが、「本当は韓国人だけで話す方が楽だろうな」と感じることもありました。そこで韓国語を猛勉強した結果、普通に会話ができるようになり、いつの間にか彼らも私に韓国語で話しかけてくるようになりました。最終的には、韓国人だけの集まりに、韓国人以外で唯一私が招かれるまでになりました。もし私がツールに頼ったり、英語だけで話していたら、このような深い交流は生まれなかったかもしれません。

言葉は単なる文法や単語の集まりではなく、心と心を結びつける手段です。相手の母国語を使うことで、その人や文化への敬意を示し、より深い絆を築くことができると思います。そういう意味ではAIには不可能なことがたくさんあると感じます。ですから私はこれからも新たな外国語を学び続け、教えていきたいと考えています。

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