知識を学ぶ、その先の責任へ

 学術集会や研修会では、限局性学習症などの神経発達症に関連して「二次障害」という言葉を耳にする機会が増えました。この言葉は、神経発達症のある子どもが家庭や学校で不適応を経験し、その結果として不安や抑うつ、挑発的・反社会的行動などを示す場合に用いられています。しかし、「神経発達症の二次障害」という用語は、医学的に明確な定義があるわけではありません。また、「神経発達症が原因となり、その結果として問題行動が生じる」と一律に説明できる科学的根拠も十分ではありません。なぜなら、神経発達症のある子どもは、不安症や気分症、素行症などを併存しやすいことが広く知られているからです。つまり、適切な療育や支援が行われていても、発症しやすい時期を迎えることで精神疾患を併存する場合があるのです。

 もちろん、不適切な環境や支援の不足によって二次的な問題が生じる事例も存在します。しかし一方で、「二次障害」という言葉は、子どもの療育や子育てに真摯に取り組んできた家族や支援者を傷つけてしまう可能性もあります。さらに我が国には、「子どもは親、とりわけ母親が育てるもの」という考え方が今なお根強く残っています。そのため、この言葉が保護者に過度な責任や罪悪感を抱かせることも少なくありません。

 医学などの専門知識を学ぶ私たちは、「言葉がもつ力」を常に意識し、一つひとつの言葉を吟味して用いる責任があります。私も含め、学生の皆さんは先人から多くの知識を学びます。そして、セラピストになれば、クライエントからかけがえのない経験知を授かります。私は、そこに専門職としての責任が生まれると考えています。その責任とは、科学的根拠に基づいた知識を社会へ正しく伝え、偏見や思い込みによる誤解を修正し、その誤解によって日々の暮らしが脅かされている人々の尊厳を守ることです。例えば、「神経発達症の原因はワクチンや農薬である」「児童虐待を受けた子どもは必ず愛着障害を発症し、その心の傷は癒えない」といった言説も、科学的根拠に乏しい誤解です。

 学生の皆さんには、知識を身につけることはもちろん、その知識を鵜呑みにするのではなく、社会に存在する偏見や思い込み、歪みに気づく視点を育んでほしいと思います。そして、人を傷つける言葉ではなく、人の尊厳を守る言葉を選べる専門職へと成長してくれることを願っています。

平等&公正

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