内なる偏見

私が駆け出しのセラピストだった頃の苦い体験をお伝えします。当時の私は作業療法の代表的な治療理論である感覚統合療法の習得に向けて、月に一度、恩師の下を訪れてセラピーを教わる日々を過ごしていました。若さは時に過信を生みだします…そんな時にある男の子が教えてくれました。僕にとって大切なエピソードです。

Down症候群であるA君の母親と会話している中で、「A君が1人で近所のスーパーに行き、好きなお菓子を買ってくる」という話を聞き驚きました。なぜならA君は言葉を発することができず、可能なジェスチャーも「はい、いいえ」「バイバイ」などに限られていたからです。買い物には計算やコミュニケーション能力が必要だと考えていた私は、A君に買い物は出来ないと思い込んでいたのです。母親によると、A君は100円玉と好きなお菓子を握りしめ、店員に提示し、予算がオーバーしていたら何度もお菓子を選びなおし、買ってくるとのことでした。知能検査の結果からは不可能だと思われていた作業を、A君は持ち前の行動力と愛らしさによって見事にやり遂げていたのです。その事実に驚くとともに、私自身がA君の可能性を見出せなかったことに恥じました。

障害者自身だけでなく、家族や支援にあたる専門家が「できない」と思い込んでしまうことを「内なる偏見」(野中猛著『図説精神障害リハビリテーション』)と言います。作業療法士には、内なる偏見にとらわれることなく、子どもたちの可能性や希望を導き出すまなざしをもっていただきたいものです。

大学教員となった今、そんな気持ちで学生を見つめるようになりました。学生の力を信じ、可能性を引き出すそんな教育がしたいものです。

A君がスーパーに向かって走り、母親にお金を渡しているイラスト。

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