生活の過剰?

今年の3月、東日本大震災の発生から10年を迎えますが、当時私は東京の大学で仕事をしておりました。発生後の混乱ぶりは今でも鮮明に覚えています。また震災後、全国に広がった「自粛ムード」は作業療法士として興味深い現象でした。

さて、今から遡ることおよそ100年前、東京は関東大震災に見舞われたわけですが、かの芥川龍之介は、その体験を『大正十二年九月一日の大震に際して』と題する作品に残しています。その中で芥川はこう述べています。”人間を人間たらしめるものは常に生活の過剰である。僕等は人間たる尊厳の為に生活の過剰を作らなければならぬ。更に又巧みにその過剰を大いなる花束に仕上げねばならぬ。生活に過剰をあらしめるとは生活を豊富にすることである。”

生活の過剰とは何か?人間の生活は、寝たり、食べたり、トイレに行ったり、お風呂に入るだけではありません。お気に入りの喫茶店で一人コーヒーを飲みながら本のページをめくったり、弱小だけれどひいきにしているクラブのサッカーの試合をスタジアムで観戦しサポーターとともに歓声を挙げたり、フルマラソンでサブフォーめざし雨の日も風の日も毎日ランニングを続けたり、他人から見れば“生活の過剰”ともいえる作業の連続が、生活や“その人らしさ”を構成しています。

東日本大震災に続き、コロナ禍でも、“生活の過剰”が失われつつありますが、作業療法士は老若男女、障害の有無を問わず、対象となる人・集団の生活を豊富にするために、巧みにその過剰(作業)を大いなる花束に仕上げるのを支援する、そんな重要な役割を担っているのではないか、東日本大震災の発生から10年の節目にふと考えました。

芥川龍之介『大正十二年九月一日の大震に際して』
https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/3762_27361.html?fbclid=IwAR35FxQGxWAuaasg3kemsuavKZfPGbwURh_17VhHBcO3W1XbZyDksQ_2U4o

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