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「学長からの手紙」番外編 〜 新聞・雑誌への寄稿文から 〜

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2011年7月15日発行  「日整会広報室ニュース」 第86号

「日本整形外科学会」は、1926年(大正15年)、整形外科学に関する研究 発表、連絡、提携および研究の促進を図り、整形外科学の進歩普及に貢献し、 もって学術文化の発展に寄与することを目的に設立されました。平成23年4月1日より、社団法人から公益社団法人に移行し、ますますの発展を続けています。菊地理事長兼学長は当学会の平成23・24年度代議員に任命されています。
現在は大学附属病院や総合病院の医師、開業医など、2万余名の会員を擁し、研究 発表や講演会などの開催、機関紙(和文・英文)・図書等の発行、内外の関係学術団体との連絡および提携、整形外科学に関する研究調査などさまざまな活動を行っています。
今回は、会員専用機関紙「日整会広報室ニュース」(季刊)の、東日本大震災特集のトップに掲載された寄稿文を転載します。

日本整形外科学会 (http://www.joa.or.jp/jp/index.html)

東日本大震災を考える

東日本大震災では、私の勤務地である福島県は地震と津波に加えて原発事故に見舞われ、それは今もなお、収束の目途が立っていません。風評被害が大人のみならず、子供にまで及んでいます。
人心の当て所(あてど)なさに哀しみを覚えます。

本学は、県立であるが故の利点を生かし、県対策本部と本学が一体となってこの難局に対応しています。
本県は、放射線被曝の問題への対応が、他の県のそれと決定的に違う点です。
この問題対応には前例がありません。本学は、県や国と一体となって手探りで対応しているというのが実態です。

大学のトップとして、行政との対応について思いつくままに提示します。
第1に、「情報の共有化」 と 「窓口の一本化」 の重要性に対する再認識です。
誰もが経験したことのない原発事故への対応、事態が深刻な程、これらの重要性はいくら強調してもし過ぎるということはありません。

第2に、トップの「リーダーシップの発揮」と「拙速」の大切さです。
「地獄への道は善意で舗装されている(カール・マルクス)」 という箴言は、現実でした。危急存亡の秋(とき)は、皆良かれと思って思い思いに意見を述べたり、行動したりします。これは、各自が善意からの行為だけに厄介です。優先順位の無視、権限外への介入、感情過多の言動はこういう場合、百害あって一利なしです。
非常時には、肚をくくっての強いリーダーシップの発揮、そして拙速(スピード) が大切であることも実感しました。良い意味での 「朝令暮改」 の勧めです。それを担保するのは、トップの責任です。
それと、為すべき事にトップが優先順位をつけることです。何故なら、限られた人と時間で、一度に出来ることは限られているからです。情報を共有しての衆議独裁の確立です。
この決断は、孤独で、そして時の評価に委ねられることになりますが、そこから逃げては組織と一体となった動きは生まれません。

第3に、「大学と政府や自治体との連携」は必須です。
幸い、本学は県との連携が緊密で、執行部間の信頼関係は強固です。普段からの良好な意思疎通が、非常時には威力を発揮します。今度の震災で、本学に求められたのは原発事故に対する医療面での対応です。この点については、文科省の支援と提言が大きな支えになりました。
非常時には大学だけではその機能を発揮できません。対策本部としての国や県、自己完結組織としての自衛隊、あるいは消防隊や警察との共同作業は欠かせません。有事の発生時の対策本部は混乱を極めているので、各部署のトップとホットラインを作っておくのが一つの解決肢です。

第4に、「放射線教育の不足」への対応が必要です。
当初は、医療従事者を含め多くの県民が不安で、浮き足立ちました。私を含めた医療従事者の“放射線”に対する知識は、とても国民を安心させることができるレベルではありません。
これだけ原子力発電所を抱えているわが国では、これを機会に医学教育カリキュラムを再検討する必要があります。義務教育の段階から科学としての放射線を教育しておくことが求められます。何故なら、当分は否応なく原子力発電にエネルギ一政策の根幹を置かざるを得ないからです。

第5に、原子力に関わる研究者や技術者に若手が少ないという印象を受けました。
もしそれが事実なら、若手の育成が急務です。

最後に、「安全と安心の峻別」の必要性です。
安全はコストの問題ですが、安心は心の問題です。これを混同して議論すると何もまとまりません。そもそも安全など保証されている安心な世の中など存在しないという事実に向き合うべきです。
私を含め、面倒なことはすべてお上任せであったのではと反省しています。結局、誰もが目の前のリスクから回避していたのではないかと思わざるを得ません。

原発事故の収束後、一度、次の世代の為に何を伝えるべきかを熟慮してみます。
何故なら、本学の新たな歴史的使命のーつとして、この事故対応の全てを記録し、それを次の世代に伝えていく責務があるからです。

 

 

 

 

( ※ Webページ向けに改行位置等を改変し、転載しております)

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