菊地臣一 コラム「学長からの手紙 〜医師としてのマナー〜

<< 前のページ  目次  次のページ >>

200.内部の人間には自分の属している組織の本当の価値は見えない

昨夜、私が敬愛する最先端の研究をしている若手の研究者を講演会にお呼びしました。内容は、予想に違わず素晴らしいものでした。その後の会食の際、彼は私に初めて会ったときのことを話してくれました。以前にも彼から聞いていたことですが、医局員が聞くのは初めてです。

それは私が40歳で、新潟での第60回日本整形外科学会で教育研修講演(1987年)をしたときのことです。桜が満開だったことを憶えています。彼も桜が満開だったということを言っていたので、余程そのときの桜は綺麗だったんだと思います。そのとき彼は入局1年目だったそうです。私の講演の後、彼は私のところに近寄って来て、「どのように腰部脊柱管狭窄の責任高位を決めているのか」という質問をしました。それに対して私は、「患者さんと一緒に歩いてリアルタイムでそのとき出現した症状や所見を評価して責任高位を設定する」と答えました。

このような質疑応答が行われたのには、その当時の時代背景を知る必要があります。当時、どの高位を除圧するかは、脊髄造影で狭窄があるところを、この辺りかという感覚で多椎間に渡り除圧していた時代だったのです。彼はその答えを聞いて、目から鱗が落ちたような心地がしたそうです。何故かというと、当時、診察室で診察することはあっても、患者の生活それ自体に入り込んで、歩いて出る症状なら、一緒に歩いてみよう、そして本当に歩けなくなる距離や時間を正確に確認して、と同時に、患者さんの症状や所見を直に見て評価しようという試みは、当時としては斬新なものだったのです。

これを聞いた教室員達は、「当科では、入局1年生の仕事は患者と一緒に歩くことだ」と答えていました。当教室にいる人間にとっては、神経学的所見をとるときには、患者さんと一緒に歩き、患者さんから話を直接聞き、その場で神経学的所見をとるということが当たり前です。患者さんと一緒に歩いて医師が正確に症状や所見を確認するという医学的な重要性もさることながら、患者さんとの信頼関係を築くうえでもこの試験は有用です。このような、他人からみたら素晴らしいことをやっていても、その中にいるとその真の素晴らしさや価値は見えないものです。だからこそ、積極的に自分達の属する組織とは違う世界の人間と交流を持つことが大切なのです。それによって自分が、或いは自分の属している組織の素晴らしさや至らなさを知り、誇りをそして反省点を持てるのだと思います。

 

 

 

▲TOPへ