菊地臣一 コラム「学長からの手紙  〜医師としてのマナー〜

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127.修羅場から逃げるな

医師はあらゆる修羅場を経験して成長していきます。優れた外科医の条件の一つに、有りと有らゆる合併症に通暁している事が挙げられます。即ち、有りと有らゆる合併症に通暁しているのには、残念ながら、有りと有らゆる合併症を経験しなければなりません。時には人の命を過ち損ねる痛恨の経験を重ねない事には大成出来ない事も一面の真実です。誠に外科医は因果な業であると言えます。

しかし、だからといってそこから逃げたり修羅場を避けて通って、患者さんの信頼を勝ち取るような立派な医師に大成するかと言うと、そうはいきません。また、合併症を起こさない様な事しかしてない様では、結果的に経験も積めません。或いは、難しい患者さんを右から左へ単に紹介するだけのメッセンジャー役に堕落してしまうと、これも結果的には医師として大成はしません。となると、我々は修羅場にたじろかずに立ち向かい、それに耐え、対応して切り抜けなければならない事になります。言うは易く、行うは仲々のものがあります。

私自身も、以前に幾つかこのコーナーで書いたかもしれませんが、患者さんに麻痺を作ったり、墓場まで持って行かなくてはならない様な秘密を抱えてコメディカルの人達や同僚の医師を庇ったりしたこともありました。出来たら夢であって欲しい、或いは自分の人生の中からこの一コマだけが消えて無くなれば、何と楽な事かと思った事もありました。一ケ月で自分の体重が10キロも痩せる事も1度や2度ではありませんでした。しかし、結果的にはその御蔭で私自身は大きく成長させてもらいました。これは今だから振り返ってみてそう言えるのであって、当時は無我夢中で只ひたすら対応しただけでしたが。結果的には誰も傷つかず、合併症を作った患者さんとの信頼関係も切れないで今でも音信があります。

私が教授に就任してからも、何人かのスタッフはやはり何度か修羅場に出会っています。その修羅場に敢然として怯まずに立ち向かったかどうかは本人しか知り得ません。自分が道を極めようと努力すれば、必ず修羅場に出会います。その修羅場を克服出来るかどうか、そしてその経験を次の患者さんに生かす事が出来るかどうか、そこがその医師にとって大成するかどうかの分かれ目です。

大病院や大学病院というのは、こういう場合得てして、修羅場から避けても何とかなるものです。なぜなら、独りでやっているのと違って、その責任の所在は曖昧でしかもそれをカバーする組織や人間が存在するからです。本人達が余程自覚しない限り、その修羅場を自ら一手に引き受けて立ち向かう事は仲々困難な様に思います。また、その医師が修羅場に怯まずに立ち向かっているかどうかは見る人が見れば分かるものです。それを次に生かさなければ痛恨の経験の原因となった患者さんに対しても申し開きが出来ません。一所懸命やれば必ず至誠天に通ずです。お互い肝に銘じて頑張りたいものです。

 

 

 

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