菊地臣一 コラム「学長からの手紙  〜医師としてのマナー〜

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126.期限のある待機は出来る

前にも書きましたが、患者さんは期限がはっきりしている日にちは待っていられます。何時ベッドから起き上がれるのか、何時退院出来るのか、何時歩けるのか、待っていなくてはならない日数が分かれば、患者は待っていられるものなのです。しかし、分からないのではなくて、一般的には知らされていない事の方が多い様ですが、何時退院出来るか分からない、何時歩けるか分からない、何時ベッドから起き上がれるか分からないでは、患者さんの立場に立ってみれば、これ程不安に満ちた事はありません。

ですから、時間は掛かってもいいのです。今後の予定をしっかり患者さんに話してあげる事こそが、真の親切です。その一環として、我々はベッドの側に術後の日程表を置いているのです。この様に、患者さんに希望や気力を持って頑張ってもらおうとしている医局としての姿勢が、まだまだ医局員には伝わっていない事が痛感させられる事がありました。以下にそれを記してみます。

20歳台の若い患者さんが、福島県内外を含め方々の病院を歩いて私の所に伝を頼ってきたのはつい最近の事です。この患者さんは、膝に力が入らず膝崩れが起き、膝の痛みを訴えています。多くの検査を受け、診断は「異常なし」或いは「関節鏡にごみがついていたんであろう」等と訳の分からない様な診断や説明を受けて、患者さんは遂に不安になって私の所に来ました。私が見た時には、既に膝が伸展できない程筋肉は落ちていました。また、膝には水も溜まっていました。もはや、最初の状態はどうであったのかすら分からなくなっている様な状態です。

患者さんは言います。「治らなくても良い。しかし、どんな原因なのかが知りたい」と。その患者さんを入院させてから一週間が経ちました。私自身診断が付かないので、私の信頼する奈良の医師に診察してもらう事を患者さんにも話し納得してもらいました。その旨カルテにも記載し、担当医師団にも指示しました。しかし、一週間後の今日、私には何の報告も上がって来ません。MRIと筋電図と関節鏡をやってその先生に見てもらうという入院時の予定でした。

堪り兼ねて、私は今日調べてみました。MRIは他の病院で撮っている。筋電図は未だやっていない。関節鏡の予定は立っていない。だとしたら患者さんは何の為に一週間入院していたのでしょうか。入院して初めて分かった事は何なのでしょうか。何も無いではありませんか。これでは患者さんは何の為に入院したのか分かりません。何の為に一週間を病院で費やしたのかが分かりません。タイトルに書いた様に、患者さんは、自分に理解出来る理由で入院し、しかもその入院している理由が自分の目ではっきり日々納得できるのであれば、充分患者さんは待てるのです。しかし、これでは患者さんはまた医療不信に陥るだけです。

私は意を決して、今日中に筋電図をやる事、MRIを今日中に手配する事を指示し、私の信頼できる医師にその場で朝連絡を取りました。この結果来週の木曜日に診察してくれることになりました。この間所要時間は5分です。何故こんな簡単な事がすぐに出来ないのでしょうか。何か忙しい事が他にあるのでしょうか。翻って、医者にとって患者さんの診断治療より優先される事が何かあるのでしょうか。

医師には能力の有る無しはあまり無い様に思います。錐で穴を穿つ様な集中力と、ひたむきさで患者さんに接してその患者さんの為に何らかの行動を起こす事こそが、患者さんの信頼を呼び寄せ、患者さんの心に感動と感謝の気持ちを起こさせる筈です。だから医療技術や知識の有無は、あまり患者さんとの信頼関係には関係有りません。

我々は患者さんで忙しい忙しいと言いますが、患者さんが居なければどうします。もし「あまり忙しいのであれば、あなたには給料はそのまま保証する。その代わり仕事はしなくて良い」と言われたらどうします。何もせずにじっと長期間そこに居続ける事が出来るでしょうか。否です。人間は金の為に働いているのでは有りません。会社等の組織を辞めさせる時には、金銭だけ与えて仕事を与えないという手がよく使われるそうです。その理由はよく分かります。

人間は金の為に働いているのでは無く、結局は他人から当てにされている、他人の為に働いているという事実ないし自分の認識が無ければ人は働けないのです。忙しい忙しいと言い訳をするのは結構です。しかし、忙しい理由の患者さんが居なくなったらどうします。我々は生活が出来ません。いや、「給料は保証しよう、その代わり仕事はしなくて良い、ただそこに居るだけで良い」と言われたらどうでしょう。その人間は他人には何の役にも立っていないのです。ただ生きている事だけが目的なのです。そういう人生に耐えられますか。耐えられない筈です。

患者さんが多いという事は自分の生きがいと生活を保証してくれるという点で感謝しなくてはなりません。ですから、我々は患者さんに対して、その患者さんが何を望んで受診したのか、何を望んで入院してるのかを考え、時を置かずに対応してあげる事こそが、自分への信頼感を勝ち取り、充実した医者としての人生を送るための最も基本的な条件だと思います。心して下さい。

 

 

 

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