菊地臣一 コラム「学長からの手紙  〜医師としてのマナー〜

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92.学問無しの経験は、経験無しの学問に勝る

このタイトルは誰でも知っている西洋の諺です。しかし、医師にとって、この諺ほど他の職業にもまして、重要な諺はないように思います。なぜならば、医師は経験が全てだからです。臨床医が大成する為に書物から、或いは人の話から受ける情報だけで大成出来るなら、どの大学にも巨大なあらゆる書物が準備された図書館があればいいわけです。しかし、それで立派な臨床医が育たないことは古今の歴史が証明しています。ですから、マイナス面もあることは納得の上、医局制度が存続しているのでしょう。経験をなるべく多く積むこと、他人の経験も自分の経験として学べるようにする為に、医局という場は非常に役に立ちます。

しかし経験というものは、自ら努力しない限り数多く積めません。積極的に現場に出て、積極的に手術に参加しない限り、経験を積むことは出来ません。前にも書きましたが、Dr.Rydevikが言った医師が大成する条件の1つに、「数多くの手術を経験すること、数多くの症例を経験すること」という1項目がありました。まさにこの諺を地で言っているような話です。

しかし、経験というものは残念ながら遺伝しません。経験による学習効果を他人に伝えることは殆ど不可能に等しいのです。「百聞は一見にしかず」というのはこの諺と一脈通じるものです。いくら「他人の飯を食うことが大事である」とか、「海外留学をすると、我々と全く違った考え方をする人がいる、我々とは全く違ったシステムがある」ということがよく分かる。いくら本や人の話で聞いても、自分で行って一瞬のうちに分かることと比べたら随分と差があります。積極的に経験を積むことだけが医師の大成への道のような気がします。

しかし、この経験には失敗も含まれなければなりません。成功だけ、或いはスムーズにいくだけの経験では決して医師は大成しません。なぜならば、医師としての人生で失敗のない、或いは後悔することのないような経験だけで一生終われる人は決していないからです。トップでない人生を歩くことの重要性を認識しなければならない我々にとって後悔は付き物です。否、後悔こそが人生かもしれません。

医師にとって誰かが言ったような「さよならだけが人生だ」ではなくて、「後悔こそが人生だ」なのかもしれません。後悔するからこそ、次にその後悔を生かそうと努力するわけです。後悔をするような失敗がないことは、自分にとっても患者さんにとっても良いことです。しかし、そういうことは、医師の世界に限らず、有り得ないことではないでしょうか。その後悔をなるべく少なくすること、できたらなくすことが理想であることは言うまでもありません。しかし、決してなくなることはないですし、その後悔をするような挫折こそがその人間の陰影を作っていくのではないでしょうか。

先程述べたように、我々のようなトップでない人生を歩む人間にとって、それでは生きる支えは、或いは生きる誇りは何なのでしょうか。哲学者ディトゲンシュタインの言葉があります。それは「人間の偉大さを測る尺度は、その仕事に支払った犠牲の多寡である」という言葉です。この言葉は我々凡人に勇気を与えてくれます。これは、「研修医にはその途中経過にこそ意味があって、結果は何の意味を持たない。スタッフにはその途中経過は何の意味を持たず、結果が全てである」ということと一脈通じます。1つの仕事を成し遂げる場合、ある人間には10の努力が必要、ある人間にとっては5の努力で出来るかもしれません。この場合、何を成し遂げたかではなくて、自分の能力に応じてその全能を出しきって、その仕事をやったかどうかに意義があるのです。この2人の人間がどちらがより賞賛されるか、或いは評価されるべきかといえば10の犠牲を支払った人間がより貴いのではないかと思います。

前にも書きましたが、何かを獲得する時には、何かを捨てているのです。しかし、捨てるものを考えても何かを成し遂げる価値があるからこそ、その仕事をしたのでしょう。結果的にはその人間はそれによって自分自身を磨き、この人間に対する周囲の評価も上がるのではないでしょうか。

以上述べたように、医師にとって経験は大事です。しかも、我々トップでない人生を歩んでいる人間にとっては後悔は付き物です。しかし、その後悔こそがその人間の魅力を生み出しているのもまた事実です。1つの仕事をする時に能力のない人間ほど、多く犠牲を払わなくてはならないかもしれません。多くの努力が必要かもしれません。しかし、その犠牲或いは努力こそが、その人間の魅力ある襞を作っていくのではないでしょうか。こう考えてお互いに頑張りたいものです。

 

 

 

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