公立大学法人 福島県立医科大学 ダイバーシティ推進室


ロールモデル集

黒田 直人 法医学講座 教授

黒田先生

 よく、「法医学は基礎医学」だとおっしゃる方がいます。法医学、特に死因究明は純然たる臨床医学なのですが、このことは一部の医師の方々にすら理解して頂けないことがあります。治療こそ滅多に行わないものの、個々の症例を診ること、そして症例研究によって診断精度を向上させることが主眼であるという点で、法医学は診断を主とする臨床医学なのです。
 普通の臨床を医療の「母屋」に例えるなら、これまでの法医学は「離れ」もしくは「別棟の一室」に見えたかも知れません。そして、どちらかというとバックヤードでの仕事が多く、裏方のような印象を与えていたかも知れません。
 法医学はご遺体を調べますが、法医学の興味の対象はご遺体そのものではなく、その人が最後にどのような亡くなり方をしたのかを、医学的・科学的根拠に基づいて客観的に診断することが最大の目的です。つまり、法医学就中死因究明とは、ある所見の証拠としての客観性を吟味する作業であり、法医学者あるいは死因究明医はevidence hunterであると言えます。
 さて、昭和58年(1983年)東京医科大学を卒業した黒田は、慶應義塾大学医学部法医学教室の助手として採用されました。 何故法医学だったのか?
 手っ取り早い話、黒田の両親(いずれも医師)が福島県立医科大学で法医学を専攻していたことに影響を受けたということにしておきましょう。実は紆余曲折、複雑怪奇な経緯で法医学教室の入り口に辿り着いたのですが、その話はまた別の機会に。
 黒田が入室した当時、講座主任だった渡辺博司先生は、時間を無駄にすることを大変嫌っていました。用もないのに大学に来るな、居るな、そんな暇があったら、落語の一つでも聴いて来い、でなけりゃ本を読め、医学書じゃないゾ、囲碁をやれ、絵画を見てこい、歳食ったら味が覚えられないから今のうちに旨いものを食わしてやる、「長押」と「鴨居」の違いぐらいちゃんと覚えておけ、等々エキセントリックな教えを数々受けて、黒田を末っ子に兄弟子たちと中身の濃い毎日を過ごしておりました。
 そんな中、そのように見えたかどうかは別として、黒田は決して遊びっぽけていたのではなく、機会を捉えてご遺体を前に大将(渡辺先生の渾名)や兄弟子たちと侃々諤々の議論をし、下手な事を言おうものなら大将と兄弟子たちから情け容赦なくボコボコにされていたのです。しかし、居場所のないような孤独感や喪失感を覚えたことは一度としてなく、どんなポカをやらかしても、喉元に刃を突きつけるような叱責は決して受けませんでした。
 経験を重ねるうち、いい気になっていた生意気な黒田を叱ってくれたのは、後の同僚でした。彼は歳こそ黒田よりも若いのですが、指摘は時に辛辣で、そして厳しく怖い人です。とても怖いのですが、扱き下ろされて真っ逆さまに落ちて行く黒田を必ずセイフティネットで救ってくれたのもその人です。
 その人はとても良いことを黒田に教えてくれました。
 「先生ね、馬鹿話がし会えるような人間関係を作らなきゃね。緩いキャッチボールみたいなね。ボクシングのニュートラルゾーンみたいなのが。人と人との間には必要なんですよね。」
 多様な個性と渡り合わなければならなかった法医学で潰れずにいられたのは、この助言であったと確信しています。
 さて30歳で結婚し、耳鼻咽喉科医の妻との生活が東京で始まりました。やがて長男が生まれ。その後家族3人でスコットランド・ダンディーへ留学、帰国後には長女が生まれて家は賑やかになりました。黒田の仕事場の人々は皆、「カミさんのほうが黒ちゃん(黒田の渾名)より収入が多いんだから、黒ちゃんが家のことをやらなくちゃダメだぞ。」と異口同音に語るのでした。
 実際、朝晩の送り迎えは勿論、妻が当直で不在の晩のご飯作りや入浴、寝る前の本の読み聞かせなど、当時は子供と一緒の時間が妻よりも黒田のほうが長かったのです。仕事の作業時間をあちこち動かして、家で出来る仕事は家でやり、子育ての時間を確保しました。イクメンやリモートワーク、黒田は30年前からやっていたのです。
 福島に来る前、弘前大学で教授になってからも、子供のPTAや学校新聞などの編集など、結構忙しく過ごしていました。黒田の研究業績が少ないのはそれが理由かという議論は面倒臭いからしないことにして、とにかく充実した日々を送りました。
 その後震災があり、父に続いて母が認知症を発症したことを機会に、生まれ故郷の福島に戻って来ました。両親は亡くなり、子供達も独り立ちし、今では妻と二人の生活に戻りました。
 死因究明医の仕事は、お呼びでないと言われるまで続けるつもりです。臨床とは全然違うように見えるかも知れませんが、前にも述べたように。法医学は臨床医学です。医師でなければ出来ない死因究明の日々は、あっという間に過ぎるほどの濃厚なものだったのです。



令和4年度 ロールモデル集 ~福島県立医科大学の後輩へ伝えたいこと~

(所属・役職は執筆当時)

令和3年度 ロールモデル集 ~福島県立医科大学の後輩へ伝えたいこと~

(所属・役職は執筆当時)

令和2年度 ロールモデル集 ~福島県立医科大学の後輩へ伝えたいこと~

(所属・役職は執筆当時)

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