公立大学法人 福島県立医科大学 ダイバーシティ推進室


ロールモデル集

小宮 ひろみ 性差医療センター 教授

小宮先生

 私は昭和61年に山形大学を卒業しました。大学時代は軟式庭球部に所属し、テニスコートを駆け回っておりました。夏は真っ黒になり、日焼けは毎年恒例でした。私とペアだった同級生が強かったこともあり、全医体に出場したこともあります。充実した学生時代を過ごしました。笑ったり、泣いたり、悩んだり、物思いにふけったり..。ただ、今思うことは、たくさんの先輩、友人、後輩ができ、それは今でも宝です。
 それから、大学院にはいりましたが、妊娠したために大学院を辞めなければなりませんでした。今では妊娠により大学院を辞めなければならないということはありませんが、大学院を続けることは無理と判断されたのでしょう。私も仕方ないと自分を納得させました(その当時の教授の名誉のために申し上げますが、優しい先生でした)。そのため、産婦人科医として生きていこうと決意し、トレーニングをすることになります。結局、卒後2年目で子供が生まれ、仕事と子育ての両立を余儀なくされました。その当時は、「女性医師支援」「働き方」など全く言われていなかったので、正直とても辛かったです。子供の成長は本当に喜びで、何ものにも代えがたいものがありました。一方、自分の医師としてのキャリア形成を考えると、それは深い暗いトンネルにはいったような気持ちです。何にたどり着きたいのか、何にたどり着けるのか全く見えない、日々、同級生は次々にいろいろなスキルを身につけていく、学会発表もしているにもかかわらず、私は休日に開催される地方部会にさえも出られなかった..大学院も退学させられ、医師のキャリア形成も中途半端で私は何なのだろうと辛い日々が続きました。その時、ある先輩が「こんなプロジェクトがあるから研究してみない?何かひとつまとめてみたら?」と言ってくださいました。その時、私は頸椎椎間板ヘルニア手術の直前でした。ある物質について遺伝子解析をしてほしいということでしたが、研究についてはcDNA? 初めての言葉ばかりで全く理解できません。ただ、術後痛みさえひけば勉強できるはずと思い「ワトソン・組換えDNAの分子生物学」の本を病室に持ち込んで読んでいたことを覚えています。必死で学位をとりました。それは「Biology of reproduction」に掲載され、「私でもできた、人と比較するより、着実に成し遂げていくことが大事なんだ」と気が付きました。
 人生は予測不能です。プライベートでも思いもよらないことがおこり、ここでも、私は挫折感を味わうことになります。どうして私だけ..。その時です。友人やお世話になった先生方から励ましの言葉をいただきました。そして、気が付いたことがあります。それまで、私は「こうあるべきなのに、なぜならないの?」と頑迷な生き方をしてきました。でも、もうその生き方は通用しません。「柔らかな心、しなやかな生き方、自分を律する心」が重要であることに気が付いたのです。そして、同時期ですが、研究に対する興味はどんどん深まり、アメリカに留学しました。息子をつれた留学です。大変でした。アメリカは、自分で切り開かなければ何一つ動かない国です。夢中でしたが、よく動きました。あれ?自分は意外と動けるということを認識しました。今考えると、とてもよい時代でした。研究は臨床をするにあたり必要ではないと考える方もいるかもしれませんが、臨床するにも研究マインドはとても役に立ちます。研究には目的があり、そのための手段を考え、結果がでてフィードバックして考える。このような科学的プロセスは患者さんをみる上でも大切です。
 アメリカで3年半過ごした後、福島県立医科大学に入職いたしました。産婦人科に入局させていただいたのですが、多くの先生に育てていただきました。ありがたいことだと感謝しております。人との出会い、特にキャリア形成をしていく中には、キーパーソンがいると思います。勿論、振り返らないと誰がキーパーソンだったかわかりません。人との出会い、つながりを大事にしていれば、必ず巡り会えます。
 そして、継続することです。私は福島に戻った時に、これからは「女性の健康」と「医師の働く環境の改善」をめざそうと心に決めました。そして、私はやっと深く暗いトンネルから出ることができたのです。「産婦人科」は勿論のこと「性差医療」「男女共同参画」「漢方医療」に微力ではありますが、その思いを実践させていただいております。人生を考えますと、仕事の量質はその時期で変えざるをえないかもしれません。しかしながら、どのような形でも継続することにより、社会への貢献、医療への貢献、また自分自身のキャリア形成がなされます。現在はそのために種々の支援が整備されておりますので、それらを活用していただきたいと思います。そして、苦しい時は誰かに相談することです。苦しんでいる後輩、同僚、友人に対して温かく、時に厳しく手を差し伸べてくれる方は必ずいます。これからいろいろなことがあるでしょう。でも、乗り越えられます。自分の目標に向かって頑張ってください。心から応援しています!



令和4年度 ロールモデル集 ~福島県立医科大学の後輩へ伝えたいこと~

(所属・役職は執筆当時)

令和3年度 ロールモデル集 ~福島県立医科大学の後輩へ伝えたいこと~

(所属・役職は執筆当時)

令和2年度 ロールモデル集 ~福島県立医科大学の後輩へ伝えたいこと~

(所属・役職は執筆当時)

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