ロールモデル集
加藤 成樹 医学部附属生体情報伝達研究所 准教授

本稿に目を止めていただきありがとうございます。ロールモデルとして他人にお話できるようなキャリアを歩んできたわけではありませんが、私を一例として寄稿いたしました。特に20代後半から30代前半にかけて、ライフイベントが重なることが多く、その真っ只中にいる方々にとっては周りを見る余裕などないことが多いと思います。その時代に差し掛かる前の年代の方に、この先どんな人生が待っているか分からないものの、こんな過ごし方をしてきた人がいるのかと知っていただく機会を持つことは、将来何かの役に立つかもしれません。本稿を通して、読者の方に共感できる部分や参考にしてもらえることがあれば幸いです。

図に大きく書いたように、私自身がこれまでの人生を通して常に心がけていることは、「ストレスを持ち越さないこと」です。ストレスは些細なことでも気付かないうちに積み重なって、なかなか除くことができなくなってからでは、対処するのが大変です。小さなものでもできる限り早くそのストレスを発散させることを強くお勧めします。
20代後半で学位を取得し本学に赴任しました。県外から本学に赴任するにあたり、当時公務員であった妻が仕事を辞めるのは惜しいと考え、できることなら仕事を辞めずに一緒に福島に来るにはどうすれば良いかを考え、産休・育休を計画的に使うことを考えました。そのため、大学院生の時に結婚し、運良く長女を授かり、福島に来て間もなく長女が誕生しました。慣れない土地で新しい分野の仕事、学生時代のボスとこちらのボスの仕事の進め方の違い、育児など様々な初めて経験することに対してストレスを感じる1年目でした。
当時からストレス発散として定期的に体を動かしていましたが、仕事の立ち上げで忙しく時間がないことや、どこで運動できるかも分からず、ストレスを溜め続ける日々。その上、やっと運動できる環境が整いつつあった時に、膝を怪我して手術することとなりました。1年弱ほど運動できなかったあの日々は、今思い出しただけでも目の前が真っ暗になりそうです。上の子は寝付きが悪く夜はいつも睡眠不足。と言っても、本当に大変だったのは妻なのですが。
さらに父が癌のため入院生活が始まりました。毎週金曜日の夜に家族で実家に帰り、月曜日の早朝に福島に戻る生活を8ヶ月続けました。治療の甲斐なく、父は他界しました。私も身も心もボロボロでした。思うようにストレスを発散できず、福島に来て1年目は少し精神的に病んでいました。父の看病疲れで、半年後に母がくも膜下出血で倒れ、また週末は実家を往復する生活。それでも母は回復して今は元気なので何よりです。
今思えばあの頃が最も底辺にいた時期だと思います。少しずつ仕事にも生活にも余裕が出てきて、怪我からも回復して運動できるようになったことで元気が取り戻せたと自覚しています。二女の誕生で家の中が賑やかになり心の余裕が生まれました。どん底の時代はいつまでも続かない、いつか上向きになると信じていたことが報われたように思います。 三女が生まれ、仕事が軌道に乗っている時に、米国留学の機会に恵まれました。何もわからない土地でたくさん困ったことや失敗もしたけれど、それを家族5人で乗り越えたことが家族の絆を強くしたと思っています。あの貴重な経験は自分だけでなく子供たちにとって、広い世界に目を向けることの素晴らしさを身をもって感じさせることができました。
帰国して子供達も成長し、僕のストレス発散のためのスポーツを子供達3人と一緒にするようになりました。今では単なるストレス発散ではなく、家族を繋ぐ大事な趣味であり心の支えになっています。
綱渡りのような人生経験なのでキャリアと呼ぶには程遠いのですが、ここまで走り続けて来られたのは、ストレスを溜めすぎないこと、支えとなる家族の存在をいつも大切に思うこと、そして家族であっても思いやりや敬う気持ちを忘れないことだと思っています。先の見通しがある人生は転ぶことはないかもしれないけれど、何が起こるかわからないワクワク感に欠けます。どうなるかわからなくても飛び込んでみることで、そこに新しい世界を作っていく楽しさと達成感が必ずあります。
私にとってもこの先まだ定まっていない人生に向かっていますが、ステップアップする時の助走は長い分には差し支えありません。その時のためにこの先も走り続けようと思います。
令和4年度 ロールモデル集 ~福島県立医科大学の後輩へ伝えたいこと~
(所属・役職は執筆当時)
令和3年度 ロールモデル集 ~福島県立医科大学の後輩へ伝えたいこと~
(所属・役職は執筆当時)
令和2年度 ロールモデル集 ~福島県立医科大学の後輩へ伝えたいこと~
(所属・役職は執筆当時)