ロールモデル集
関根 英治 免疫学講座 教授

私は1993年に本学を卒業し、膠原病内科医を経て、卒後12目に基礎研究医に転向しました。もしあなたが基礎研究医を目指しているのであれば、参考にして頂けますと幸いです。
・ブルーバックスを読み耽った医学部生時代
私の学業総合成績はごく普通でした。少し違う点は、当時黎明期であった分子生物学に興味を持ち、ブルーバックスで色々な自然科学分野の知識を得ていたことです。後にこれが他分野との共同研究を進める上で役に立ちました。基礎上級では、免疫学講座の遠藤雄一先生から、PCRや遺伝子クローニングなど、分子生物学の基本的手法を学びました。実は、この時点では免疫学講座のお家芸である「補体学」にはあまり興味がありませんでした。課外活動では、アルバイトで資金を得、海外個人旅行に費やしました。海外で欧米の同世代の学生と交流し、彼らの多くが借金して大学に通い、50代でリタイアして余生を楽しむ人生設計を立てていることに驚きました。心残りは、3年間で部活動を止めてしまったことです。部活に限らず、縦と横の繋がりの重要性は、後になってから理解しました。
・今思えば、一番重要だった研修医/大学院生時代
卒後は免疫学の延長にある本学の膠原病内科(粕川禮司教授が主宰する当時の第二内科)に大学院生として入局し、朝早くから深夜まで働いた初期研修を終えました。その後、免疫学講座に出向する形で藤田禎三教授(補体レクチン経路の発見者)にご指導頂き、無脊椎動物のホヤでのレクチン経路の存在を証明し、学位を取得しました。医学部を出てホヤの研究をすることに当初は抵抗がありましたが、この研究を通じて免疫学の奥深さを知りました。この時に習得した実験手技は、後のアメリカ留学時代に大いに役立ちました。もしあなたが海外留学を考えているのであれば「海外で何を学ぶか」よりも「海外で何ができるか」を意識しながら院生時代を過ごすことをお勧めします。なぜなら、留学先のボスはポスドクに後者を期待し、それによってあなたが得る成果も大きいからです。
・ひたすら楽しかったアメリカ留学時代
院修了後は、第二内科の関連病院で内科医として勤務しました。この時ご指導頂いた先輩の先生方からは、人生の歩み方について大いに薫陶を受けました。2年目が過ぎた頃、粕川先生から米国サウスカロライナ医科大学(MUSC)のProf. Gary Gilkesonラボへの留学の話を頂きました。私は迷うことなく留学を決意し、そこで補体C3を欠損したSLEのモデルマウスの腎炎の研究を行いました。結果は、予想に反して腎炎が悪化し、ボスと共に落胆しましたが、これが図らずともSLEにおける補体系の二面性(状況により善者にも悪者にもなる)を証明する結果となり、Journal of Immunologyに無改訂で受理されました。好きな研究にひたすら打ち込めた留学生活でした。この留学では、実験手技よりも問題解決に向けた多角的かつ合理的思考法を学びました。
・人生をかけたアメリカPI(principal investigator)時代
4年間の留学から帰局した時、粕川先生はすでに退官され、新しい教授が着任していました。大学では臨床医と研究医の二足の草鞋を履くつもりでしたが、研究を続けるには時間的制約が大きすぎました。折しも、アメリカでやり残した抗体のクラススイッチに関する研究が進展し、Prof. Gilkesonに再渡米の相談をしたところ、Assistant professorの職を用意してくれました。これは、PIとして独立ラボを持つ代わりに、人件費と研究費をすべて自分で稼がなければならないことを意味します。私は卒後12年目にして医局(臨床医)を辞め、再渡米を決意しました。MUSCとの契約書には「3年以内に研究費を獲得できなければ解雇」との文言があり、神妙にサインをしました。運良く、よく働く台湾出身のテクニシャンを雇うことができ、共に必死で働き、また多くの人にも助けられました。その後、研究成果をPNAS誌上で報告し、NIHから総額70万ドルの研究費を得ました。アメリカでは結果が全てといいますが、それはそれで本当です。しかし、私はアメリカについて、問題解決に向かって必死に努力している人には、自然と誰かがサポートしてくれる国というイメージを持っています。よい結果を出すためには、運も必要な気がします。これまで助けてくれた人たちと、再渡米に理解を示してくれた妻にはとても感謝しています。
・帰国と補体学
最初に渡米して10年が経ち、グリーンカードの申請に取り掛かった頃、藤田教授から帰国の話を頂きました。帰国には色々なことを諦めなければならない側面もあり、かなりの葛藤がありました。それまでは、自分の興味の赴くままに研究をしてきましたが、臨床医学につながる研究を強く意識し始めたのもその頃でした。私は藤田先生が築いた補体学を発展させる使命を感じ、帰国を決意しました。補体は多くの炎症性疾患に関与しています。帰国後は、眼科学、泌尿器科学、循環器科学、消化器内科学など、臨床医学講座との共同研究で成果を報告できたことに、少し安堵しています。
・後輩に伝えたいこと
今現在、基礎研究医として口に糊することが出来るのは、私自身に恵まれた才能があるからではありません。しかし、今こうして振り返ると、ターニングポイントを迎える前に、習得しておくべきことをクリアーしていたことに気づきます。それは自立した欧米の学生に影響を受けたからかもしれません。また、私にとって、人との出会いも大きかったと思います。それは運かもしれませんが、縦と横の繋がりが太ければ、そのチャンスも大きくなると思います。最後に、私をよく理解(我慢?)してくれる妻に出会えたことも大きいと思います。どれが一番重要かは、申し上げるまでもございません。
令和4年度 ロールモデル集 ~福島県立医科大学の後輩へ伝えたいこと~
(所属・役職は執筆当時)
令和3年度 ロールモデル集 ~福島県立医科大学の後輩へ伝えたいこと~
(所属・役職は執筆当時)
令和2年度 ロールモデル集 ~福島県立医科大学の後輩へ伝えたいこと~
(所属・役職は執筆当時)