ロールモデル集
古橋 知子 看護学部 生命看護学部門 准教授

■長い前置き
突然に本原稿執筆依頼が届き、直ぐにこれは2022年4月に就任したダイバーシティ推進室員としての務めの一つであると理解しました。しかし頭ではそれを理解しながらも、なかなか執筆に着手できませんでした。長らくワーカホリックから抜け出せずにきたことを自覚する者が「ワーク・ライフ・バランスの観点からのアドバイス」だなんて、滅相もありません。依頼文中の「ロールモデル(将来において目指したいと思われるような規範となる存在)」という言葉が心に重くのしかかり、防衛機制が発動します。頭に浮かぶ「反面教師」と「ロールモデル」という言葉の関係を探ってみると、反面教師には「反ロールモデル」や「逆ロールモデル」、「アンチロールモデル」という説明が付与されたものが散見されました。そのようななか、「反面教師もロールモデルの要素」という見解を目にした時に、少しだけ手がかりを見つけることができました。
平成24年度厚生労働省委託事業「女性社員の活躍を推進するためのメンター制度導入・ロールモデル普及マニュアル」(https://www.mhlw.go.jp/topics/koyoukintou/2013/03/07-01.html)には、ロールモデルは1人である必要はなく、また全てを模範とする必要はないこと。自分がそうありたいと考える目標ごとにロールモデルを設定し、色々な人の良い点から学ぶという姿勢をもつことの大切さが記されていました。さらにロールモデル設定例の図(P.19)を参照し、自分は【ワーク・ライフ・バランス面】では全く規範とはならないと断言できます。かろうじて【キャリア面】に例示される「スペシャリスト」としての歩みだけは執筆できるかもしれないと、ようやく思いを定め、執筆の覚悟をもつことができました。
■スペシャリストとしての歩み
特定の看護領域を持たず、幅広い知識と技術を身につけ、どのような対象に対しても看護独自の機能を発揮できるジェネラリストが育成されてきた日本の看護界に、1994年スペシャリスト制度が導入されました。それは自分が大学を卒業し、看護師として働き始めた年の出来事でありました。看護界にとっての大きな変革を身近に感じられる場とタイミングで、看護基礎教育を受けられていた幸せを、当時は認識できていなかったと思います。海外にてCNS(Clinical Nurse Specialist)教育を受けた教員や、のちに日本において専門看護師(Certified Nurse Specialist)の先駆者として活躍することになる方々など、看護基礎教育の段階から沢山のロールモデルとの出会いに恵まれてもいました。こうして振り返ると「スペシャリスト」としてキャリアを積む道へと導かれたのは、必然だったのかもしれません。
さらに幸運は続き、希望であった小児病棟に“新人看護師8名の一人”として配属していただきました。身体的にも精神的にも過酷な現場ではありましたが、そこで抱いた苦悩や疑問、倫理的葛藤などが、大学院のCNSコースで小児看護学領域を専攻して学ぶという、先の選択へと結びついていったのだと感じています。 2005年に日本看護協会小児看護専門看護師の資格を取得し、生まれ育った福島県に戻ることを決意しました。2006年に福島県立医科大学に着任し、新設ポスト「身分は看護学部でCNS教育に従事し、仕事の8割は附属病院での組織横断的CNS活動」にチャレンジしてから、はや16年目を過ごしています。福島県初の専門看護師として外から組織に入り、附属病院と看護学部の両方において果たすべき役割をとらえ、そのための活動や環境を一から考えて確立し、試行錯誤を積み重ね続けた日々でした。今でもなお実践の場に立ち続けたいと思う気持ちは、常に新たな学びを子どもおよび家族から得ている実感と、過去に受けた「看護とは何なのか?」という問いに応える課題が残っているとの自覚に支えられています。
■メッセージ
本学は渡り廊下を通ってすぐに病院に行くことができ、医療系学部が揃っているということだけでも、大変恵まれた環境にあると思っています。学部や組織、職種や立場を超えたところにも、素晴らしいロールモデルや、同じ志をもつ人、仲間を見つけることができるということも、最近あらためて感じているところです。尊いご縁、良質なつながりを日々大切にしていきましょう。
令和4年度 ロールモデル集 ~福島県立医科大学の後輩へ伝えたいこと~
(所属・役職は執筆当時)
令和3年度 ロールモデル集 ~福島県立医科大学の後輩へ伝えたいこと~
(所属・役職は執筆当時)
令和2年度 ロールモデル集 ~福島県立医科大学の後輩へ伝えたいこと~
(所属・役職は執筆当時)