ロールモデル集
中野渡 達哉 保健科学部理学療法学科 講師

私は2022年4月に本学へ着任したばかりで、しかも生まれも育ちも福島県外であるため、私自身が福島医大の先輩方をロールモデルとしている真っ最中です。これまでに、中学時代の修学旅行で会津に1泊、学部生時代の臨床実習で郡山に約2ヵ月、そして、福島競馬場に数回ほど程度しか福島県には訪れたことがなく、まだまだ新参者です。福島歴も福島医大歴も非常に浅いそんな私が、このタイミングでロールモデル集の寄稿依頼をいただきましたので、福島医大以外でのこれまでの仕事、大学院、子育て、留学などの紹介となりますことをご了承の上、参考にしていただければ幸いです。
●周囲のサポートのおかげで大学院へ
私は2004年に山形県立保健医療大学を卒業後、仙台市内にある松田病院のリハビリテーション科で理学療法士として働いていました。大学生の頃から、将来、大学教員になることを漠然と志望していたので、何かのタイミングで大学院に進学することを常々考えていました。しかし、臨床の現場は診療業務、職員・学生教育、委員会活動、管理業務、研究と日々多くの仕事があり、さらに結婚・育児というライフイベントにも恵まれ、この生活の中に大学院が入り込む余地はないと思い込んでいました。ところが、就職5年目にして、職場と家族から心強い後押しがあり、働きながら大学院へ通うという一筋の光明が差したのでした。そうと決まったら受験合格を目指すだけなので、時間外の外来業務を免除してもらうなど職場の協力を得ながら、ファミレスや図書館で約10年ぶりの受験勉強に励みました。私の目標を理解し応援してくれる人の有難さ、時にはそんな周りのサポートに甘える柔順さが、人生において大事であることを実感させられました。
●仕事+大学院で“忙しくなる”よりも“世界が広がる”
無事、受験に合格し、2009年4月から東北大学大学院医学系研究科障害科学専攻へ入学することとなりました。もちろん常勤で働いたままでしたので、有給休暇や代休などをやりくりしながら、日中に開講の統計学、肉眼解剖実習、神経解剖実習などに出席し単位を取得しました。臨床に出た後に学び直したこれらの講義や実習は、ただただ楽しかったと今でも記憶しています。夕方以降や土日に設けられるセミナーや勉強会にもとにかく出席し、英語論文の読解や研究発表に少しずつ慣れていきました。私は社会人大学生だったので、いわゆる院生室に滞在する時間は短い方であったと思います。それでも院生室で所属病院以外の医師・理学療法士・作業療法士をはじめとする多くの院生や留学生との交流や議論は、とても有意義なものでした。時間的には忙しい状況のはずでしたが、生活に息詰まるような閉塞感はなく、大学院で様々な人に触れ合うことができたことで、むしろ物の見方や考え方が広がっていることに気づきました。まさに、多様性を知り、世界が広がったような感覚であったと覚えています。この頃には上の子は3歳、さらにもう一人家族が増えているのでした。
●大学院生から大学教員へ
博士前期課程が修了する2011年3月に、私は仙台市で東日本大震災に見舞われました。4月から後期課程が始まったわけですが、震災後のあの状況で社会人大学院生を続けることにしばらく葛藤がありました。そのような中でも、大学院内のスターター研究助成に採択されたり、修士論文の内容が英語論文として公表されたりと、研究活動の歯車は回り続け、幸いにも3年間で後期課程を修了し、学位を取得することができました。そして何よりも幸いなことに、後期課程修了1年前には、母校の山形県立保健医療大学で助教として働き始めることができていました。しかし、社会人大学生であった私は研究者として未成熟で、大学教員らしい仕事ができるまでに時間がかかってしまいました。5年目頃になってようやく、科研費が採択され、海外留学先も見つかるなど、大学教員としての道が開けてきました。 留学は、大学の在外研修制度を利用したものであったため、4カ月と比較的短期間で、子ども達は小学生、妻は常勤で働いていたこともあり、家族を置いて単身で留学することに(大学院生時代に続き、我が家族の頼もしさといったら!)。留学先の米国コロラド大学では、研究できるほどの期間はなかったので、理学療法関連の講義・実習や研究の見学・補助などを行う教育実習のようなスタイルで臨ませてもらいました。合間には語学学校、ホームレスシェルターでのボランティア、アメリカならではの週末の家族行事へ参加するなどして、とにかく英語で話す経験値を積むことに専念しました。もちろん4カ月間での英語力はたかが知れているのですが、それでも中学・高校で学んできた英語の知識を、実際の表現手段として頭の中でリフレーミングすることができました。
最後になりますが、大学教員としてまだ道半ばにも至っていない身であり、何とも着地点のない話になってしまいましたが、私のワークライフバランスを保つ秘訣は、「周囲の人や環境に恵まれたこと」であったとまとめたいと思います。ただラッキーなだけでは?と思われるかもしれませんが、その場その場で自分が為すべきことを為しておかないと、運良く巡ってきたチャンスを活かすことも実はできないものです。人事を尽くして天命を待つと、意外なところからパッと道が開けるものなのかもしれません。
令和4年度 ロールモデル集 ~福島県立医科大学の後輩へ伝えたいこと~
(所属・役職は執筆当時)
令和3年度 ロールモデル集 ~福島県立医科大学の後輩へ伝えたいこと~
(所属・役職は執筆当時)
令和2年度 ロールモデル集 ~福島県立医科大学の後輩へ伝えたいこと~
(所属・役職は執筆当時)