ロールモデル集
三浦 至 神経精神医学講座 准教授

私は2000年3月に山形大学を卒業し,同年4月から福島医大の神経精神医学講座に入局し,現在まで精神科医として仕事をしています.学生時代野球ばかりしていた私は,入局当初自分のキャリア形成について考えたことはほとんどなく,何とか一人前の精神科医になることだけを考えていました.大学病院での研修ののち郡山にある精神科病院で8年間常勤として勤務し,その間週1日の研究日をもらって大学院研究生として大学で研究する機会をいただきました.研究と言っても当初は何をして良いかもよくわからず惰眠を貪っていましたが,厳しくも温かい先輩方にダメ出しや叱咤激励をもらい(ときどき心折れそうになり)ながら,刺激の多い病院で下っ端として仕事を続けるうちに次第に臨床疑問や研究のアイデアが出るようになりました.病院で患者さんに採血の協力をいただき,研究日にその検体を用いて大学で実験や解析を行うという臨床研究のスタイルを確立しましたが,この研究日の制度は本当にありがたかったと今でも感じています.研究が何とか形になり学会発表や学位論文化を行い学会賞までいただき,研究デザインから論文化まで主体的に行えたという点で非常に充実したものでした.今思えば研究テーマやその実行など随分自由にやらせていただき,当時の講座の先生方が寛容に支援して下さったことに大変感謝しています.2011年の震災後に大学に戻り,その後幸いにも留学の機会をいただき2013年から1年間,米国ニューヨークのZucker Hillside Hospitalに研究留学しました.留学中は思うようにいかないことも多くありましたが,圧倒的なエネルギーを持つドイツ人ボスの指導により論文を出すことが出来,その包括的・俯瞰的なものの考え方は今でも研究の参考になっています.留学は妻と2人の子どもとともに一家4人での渡米で,妻は医師としての仕事を1年間離れ,小さな子を連れての米国生活は慣れないことも多く苦労もありましたが,家族4人で様々な体験を通して本当に貴重な時間を過ごすことが出来ました.帰国してだいぶ時間が経ちますが,留学当時のことは未だに家族で振り返っています.また留学中に家族と過ごす時間が増えたことで,帰国後は出来るだけ仕事と家庭の時間のメリハリをつけるようにもなりました.帰国後の仕事は神経精神医学講座に戻り,現在まで研究・教育・臨床の業務を行いつつ,学会の委員会やプロジェクトに携わることも増えました.中でも統合失調症の薬物治療ガイドライン・治療アルゴリズムの作成にメンバーとして加わり,これまでの臨床・研究両面での経験を生かすとともに,他大学の多くの先生方と知り合い議論したことはとても有意義でした.
そのようなわけで私が医師になった時の志は決して高いものではありませんでしたが,精神科病院の臨床に根付いたリアルワールド研究に始まり,エビデンスの創出,それに基づく治療ガイドライン・アルゴリズム作成まで幅を広げることが出来ました.忙しい臨床の中で研究を行うことはなかなか大変ですが,その臨床の中に多くのヒントがあるのだと思います.私の場合上記の研究日以外にも講座や勤務先の先輩方や多くのスタッフの協力,また妻や家族のバックアップをもらい,とても恵まれていたと思います.ワークライフバランスについてお話しできることはあまり多くありませんが,やはり周囲の理解と協力をうまく得ることが重要だと思います.妻が当直をやっていたときは私もたまに小さい長男を一人でみたこともありましたが,夜中に長男が泣き出し困って当直中の妻に電話するなど,育児の大変さを実感しました.仕事をしながら育児家事等の大変な業務を毎日やっている女性医師には本当に頭の下がる思いです.医師の役割は多彩で実際にも多くのことが求められますが,同時に非常に多くの可能性も秘めており,貢献の仕方も様々にあると思っています.私は精神科臨床と臨床研究の面白さに魅せられここまで続けていますが,様々な個性や強みを持った人が集まり,その特性や背景をお互いに尊重しながら様々な役割を果たしていくことが重要だと思います.そして,それを通して出会った人とのつながりは大きな財産になるのではないでしょうか.
令和4年度 ロールモデル集 ~福島県立医科大学の後輩へ伝えたいこと~
(所属・役職は執筆当時)
令和3年度 ロールモデル集 ~福島県立医科大学の後輩へ伝えたいこと~
(所属・役職は執筆当時)
令和2年度 ロールモデル集 ~福島県立医科大学の後輩へ伝えたいこと~
(所属・役職は執筆当時)