公立大学法人 福島県立医科大学 ダイバーシティ推進室


ロールモデル集

堀田 彰一朗 病態制御薬理医学講座 講師

堀田先生

 医師、教職員として本学でご活躍中の先生方の中には、教員としてどうあるべきか、日頃悩んでいるいらっしゃる先生方も多いように思う。斯く言う私もその一人であり、日々悩みの種が尽きない。また、自分の悩みも解決できないままこのようなことを書くのもなんだが、私は一方で日本の優秀な学生の学術界離れを危惧していたりもする。それは近年の博士課程への進学率低下に如実に現れている。優秀な人材を集め、大学の魅力の向上、研究教育力の底上げのためには、直感的に目指したいと思える教員像が必要であると考えている。そこで、私なりの大学教員としてのロールモデルを紹介することで、その重要性を少しでも多くの先生方と認識・共有し、最終的に本学の価値向上に繋がればと思い、寄稿させていただいた。
 私にとってのロールモデルは学部時代から大学院修了まで大変お世話になった東大時代の恩師である。学生時代から研究のいろはについて指導を受け、キャリアを形成する上で、またライフイベントを乗り越える上で、今でも大きな影響を受けている人物である。私は大学入学後2年間の教養課程修了の後、配属先の研究室として構造生物学及び分子生物学を専攻している研究室を選んだ。そして、学部4年生から修士課程修了までの3年間、その恩師のもとで新米の研究見習いとして研究活動に没頭した。修士課程修了後、博士課程への進学か、既に内定していた企業の研究職か選択を迫られたが、妥協せず真理を追求し続けるその恩師の真摯さに共鳴することが多く、熟考の末博士課程への進学を決心した。そこには、純粋に恩師のような大学教員になりたいという憧れがあった。また、恩師指導のもと自身が執筆した最初の論文が国際誌に受理され、東京で開かれた国内学会、さらには米サンフランシスコで開かれた国際学会において若手優秀賞を受賞できたことは、博士学位取得への道を後押しした。
 博士課程に進学した理由は、上述の通りだが、一方、博士課程への進学は、大抵の場合、学位取得後研究員として短期契約の更新、延長で薄給生活を余儀なくされてしまう現状も事実である。大学での研究の魅力という点では、このような環境の改善が必要であると思ってはいるが、その議論は別稿に譲るとして、研究者として一人前になるためにはこの長い下積み生活が必要なことも事実である。そういえば、同世代の研究者仲間と、若手期間が長いのはお笑い芸人と研究者くらいだ、と談笑したことがある。同世代のプロ野球選手はその頃には大方引退しているというのに。
 いずれにしても、博士課程の修了後には、博士研究員のポストを探す必要があった。当初は国内の研究室に応募しようかと考えていたところ、恩師から「海外で研究してみたくはないか?」という助言をいただいた。自分にも海外で研究者として働くという選択肢があるのかと、視界が開かれた瞬間でもあった。そして、どのみち下積み生活をするのならば、と一念発起し、海外の一流の大学で博士研究員として働き、世界の舞台で切磋琢磨し自身の論文を発表したいという欲求が生まれた。私の場合、単身であった故しがらみが少なかった分決断は容易だったのかもしれない。特に伝手があるわけではなかったため、なんとか留学先を探そうと、私は国際学会に参加し、無礼を承知の上で、魅力的な講演をされた先生を登壇下で待ち構えることにした。彼は、講演後いきなり話しかけてきた私に「日本に帰ったら学歴とこれまでの研究業績を書いたCVを送ってくれ」、とだけ伝えその場は去っていったが、帰国後早速CVをメールで送ったところ、もう一人の先生と三人でオンライン面接を行う機会を与えていただいた。その面接で自分を売り込み、博士学位取得と同時にオックスフォード大学に留学する機会を得ることが出来た。当初一年間という短期契約であったが、幸いにも日本学術振興会の海外特別研究員に選ばれたため追加で2年、経済的な心配をせず研究に打ち込みオックスフォードで論文発表し、国際学会で発表の機会に恵まれた。
 そのままオックスフォードで研究を続ける選択肢もあったが、イギリスで知り合った先生の紹介もあり、京都大学医学研究科において医薬開発の重要な標的であるGPCR構造研究、抗体医薬研究を行った。本学着任後は自身の専門分野研究と医学研究の融合、さらには新しい医学分野に着手し研究を続けている。私自身、このように多岐にわたる研究を遂行する中で、研究分野の全体像を俯瞰できどの分野にどのようなニーズが有るのか把握できるようになった。国内海外双方の一流の研究機関での勤務、論文執筆、国際学会での発表、出会った友人は、私にとって生涯の財産であるが、このように思い返すと、その源流は駆け出しの頃の恩師のご指導や彼への憧れに繋がっていることに気づかされる。
 さて、このように東京、オックスフォード、京都と下積み生活を続けていく中で、ライフイベントはどうであったか。実はここにも私の恩師の言葉が影響している。多くの人がそうであるように、海外で研究者として働いていると自身のキャリア形成について不安に襲われることが多々ある。特に、研究が人生の全て、という気持ちで留学しているとその不安感は計り知れない。そのような気持ちを恩師に吐露したところ、独り身であった私に「結婚や子育て、親孝行を大切にする生き方」を諭してくださった。当時私は生活の中で生じていたワークライフ・コンフリクトを正当化するやや偏狭な哲学を持っており、その生き方が恩師の目から見て忠言に値すると判断されたのかもしれない。恩師の言葉を受けて、当時海外に身をおいていた自身の周りを見回してみると、私生活の充実から学ぶことの多さに気づかされた。家族と過ごす時間を積極的にとることで、日々のストレスの軽減につながる。また、何よりも家族と思い出を共有できる喜びがある。私も幸いなことに、本学に着任後家庭と子供に恵まれた。子育てをする中で自身を見つめ直す心の余裕ができ、時間の使い方を工夫することで仕事も以前と同じように遜色なくこなせているつもりである。現在、このようなワークライフ・バランスの整った生活を送ることができているのも、先に諭していただいた恩師の言葉が発端となっている。
 上述の通り、私にとって自身のキャリアを形成しワークライフバランスを充実させる上で、恩師の生きざま・考え方はまさに私にとってのロールモデルであった。当初は意識していなくとも、月日が経って初めて、自分自身が恩師の研究姿勢や生き様に根底の部分で感化されていたことに気づく。自身の研究人生を生き抜く中で、また人生の節目となる決断する中で、このような出会いは大変貴重な財産である。本学でご活躍されている若手の先生方や学生にも、そのような出会いを是非大切にしていただきたいし、私自身も本学の教員として、私の恩師のように誰かのロールモデルとなるよう日々研鑽を積みたく思っている。
 最後になりましたが、執筆の機会を与えてくださった男女共同参画支援の皆様ならびに本学関係者の皆様に心より感謝致します。



令和4年度 ロールモデル集 ~福島県立医科大学の後輩へ伝えたいこと~

(所属・役職は執筆当時)

令和3年度 ロールモデル集 ~福島県立医科大学の後輩へ伝えたいこと~

(所属・役職は執筆当時)

令和2年度 ロールモデル集 ~福島県立医科大学の後輩へ伝えたいこと~

(所属・役職は執筆当時)

© 2023 公立大学法人 福島県立医科大学 ダイバーシティ推進室