1972年の放射線医療
- 教授
- 加藤 貴弘
- かとう たかひろ
- 放射線治療技術、放射線治療品質管理、粒子線治療、放射線管理
今年は、レントゲン博士がX線を発見してからちょうど130年という節目の年にあたります。そして偶然にも、私が放射線医療の世界に足を踏み入れてからちょうど30年という節目でもあります。
医療の最前線で働いていた頃は、目の前のことに精一杯の日々で歴史を振り返る余裕などほとんどありませんでした。しかし、教員という立場になってからは、学生に放射線医療の本質を伝えるため、自然と過去を紐解く機会が増えてきました。そしてようやく、「歴史に学ぶ」という言葉の重みを実感できるようになった気がしています。
ふと、自分が生まれた1972年当時の放射線医療はどんな様子だったのだろう?という疑問が頭をよぎり、何気なくChatGPTに尋ねてみました。すると返ってきたのは、「1972年は、診断と治療の両面で近代放射線医療の幕開けともいえる年でした」という一文。思わずうなってしまいました。
その年、診断領域では世界初のCT装置が開発され、“放射線診断学の革命”と称されるほどの転換点となりました。また治療領域でも、コンピュータによる治療計画シミュレーションが実用化され、放射線治療の精度が大きく前進した年でもあります。
1972年といえばアントニオ猪木氏が新日本プロレスを旗揚げした記念すべき年として広く知られていますが、放射線医療においても重要な意味を持つ年だったということで、もう少し腰を据えて放射線医療の歴史を学び直してみようという気持ちが芽生えた今日この頃です。
