菊地臣一 コラム「学長からの手紙 〜医師としてのマナー〜

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172.たった一人の分別の無い行動が、全てを駄目にする

本日は久し振りに、若かった頃の激しい怒りが込み上げてきました。私自身、一般病院で長くやって来ただけに、自分やコメディカルの一挙手一投足が患者さんの信頼関係を左右してしまうという恐ろしさを、身を以て知っています。だからこそ、早朝廻診を含む朝昼晩の廻診、くどい程の説明、暇があれば枕元や病室に行っての雑談、これらの重要性を医局員に説いてきました。それで、我々医局員は患者さんからの信頼感を勝ち取っていると自負しています。

しかし、本日そんな努力を台無しにしかねない様な行動が、目の前で繰り広げられてしまいました。ある看護婦が、私とスタッフが部長廻診の後に問題のある症例に関して、立ち話をしていたら、その間を記録板を飛ばしました。その記録板は、すさまじい音を立ててナース達が申し送りしている机に、叩きつけられました。私は一瞬、何が起きたのかが全く分かりませんでしたが、その行動を理解した時、自分の医局員なら直ちに医局を辞めさせる、と思わずにはいられない程の激情に駆られました。

私がこの様に激しく怒りを感じたのには、伏線があります。このナースは、以前に新入医局員が病棟に出入りし始めたところ、彼等の面前で彼等を「下っ端」という言葉で呼び捨てにしたのです。誰もが一度は「下っ端」と言われる時期を通過してきています。なのに、下っ端と呼ばれる人間の哀しみや辛さが分からないのでしょうか。冗談や他人の前でその様な言葉を使うのは、まだ許されるかも知れません。しかし、侮蔑を目的として、あえて新入医局員の前でそれを使うことは、人間として許されるものではありません。 一番怖いのは、この様な心ない言動が現代医療の要であるチーム医療を台無しにすることです。この様な心無い行為は、チーム医療の構成員であるナース,理学療法士、そして病棟クラークなど、連携を組んで治療に当たっている人達の和を乱しかねません。それよりも、もっと怖いのは、医療従事者間でのその様な思慮のない行動が、患者さんや患者さんの家族に向けられないという保証は全くないことです。むしろ、「その様な行動は医療従事者の同僚にだけ向けられるもので、他の分野の人には向けられない」と考えるのは全く理にかなっていません。寧ろその様な行動は、時と場合によっては、患者さんや患者さんの家族に向けられると考える方が自然です。

大学病院という現場では、患者さんや家族は、ぎりぎりの最後の選択の場で戦っているのです。病気に対して怒りをぶつけたいが、病気は相手になってくれません。従って、医療側にちょっとした隙があったり心配りが足りないと、患者や患者の家族の怒りは、それに対して向かって来ます。それだけに我々は、常に、前にも書いた様に、冷静な頭と熱い心を持って患者さんやその家族と接する必要があるのです。

私自身は、この整形外科学講座の歴史的背景を考え、自分に課せられた使命は一流の医療と安らぎを患者さんに提供することと考え、懸命の努力してきました。その結果、今は胸を張って、患者さんに満足はしてもらえなくても、納得出来る医療を提供しているという自負があります。勿論それには、医局員の努力も然ることながら、コメディカルの人達の努力なしには達成出来ませんでした。その為には、相互信頼感が必須条件です。その相互信頼感を台無しにする様な行為は、例え、その人間がどれ程プロの技術や知識を持っていても、チーム医療には百害あって一利ない人間です。チーム医療とは何か、患者さんの納得の得られる医療とは何か、もう一度全ての人間が原点に返って考えるべきです。

 

 

 

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