菊地臣一 コラム「学長からの手紙 〜医師としてのマナー〜

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196.原点を忘れるな

昨日、久し振りに朝のカンファレンスで若い教室員を厳しく叱責してしまいました。私が教授就任以来約15年間、教室の理念の1つとして、早朝廻診を掲げて実施してきました。朝7時からの廻診です。廻診の前に、看護記録やカルテをチェックして、前夜のうちにあった出来事を把握し、患者さんの廻診に向かいます。早朝廻診の目的は2つしかありません。1つは、夜のうちに重大な何かが患者さんに発生していないかどうかの確認をすることです。もう1つは、患者さんに安心感を与える為です。私は若い時から、始業前の廻診をしていました。それが患者さんとの信頼関係確立に役に立つことを知ったからです。

大学に来てから、この早朝廻診にもう1つ大切な効用があることを知りました。それは、この病院では、午後2時半が入院オーダーの締め切り時刻です。外来を終えて病棟へ上がった時、整形外科では2時半を過ぎていることが少なくありません。患者さんにとって医師のいない一番長い時間、即ち、消灯時間の夜9時から次の日の始業である午前8時30分まで、特別な事情がない限り患者さんは医師と話し合うことはありません。それだけに患者さんは、朝から医師に訴えたいことを抱えて今か今かと耳を象のように大きくして、医師が病棟へ上がって来る足音を待っているのです。

このようなシステムのもとでは、患者さんの訴えを聞いて医師がその日のうちに対応する為には、始業前にオーダーを出すしかありません。私は、その要望に応える為に始業前にオーダーを出したり、処置したりしてきました。これも時間外の業務です。しかし、これを批判して、オーダーや処置依頼を受けない看護師さんは、私が医師になって34年、1人もいませんでした。医師が自らの努力と善意で患者さんの為に働いていることを皆が理解して、支援してくれるからです。

昨日、私が激した理由は、早朝廻診の本来の目的を忘れ、早朝廻診をすること自体が目的になってしまって、患者さんの重大な変化を発見して対応すること、そして患者さんに安心感を与えるという目的がすっかり忘れ去られていたからです。発熱があって、その熱の推移が一番問題になっている患者さんに、その熱の推移を確認しないで廻診するとはどいうことなのでしょうか。熱が出ていれば、尿量のチェックも必要でしょう。熱が出ていなければ、そのことを知らせて患者さんを安心させられます。暖かい心とクールな頭脳、冷徹な医学の眼を持たずに、只廻診しているのでは、原点を忘れ、精神が堕落してしまったのではないかと思わずにはいられません。自分達の行っている1つ1つの行為が、本来何の為に行っているかという明確な目的意識を失っているとしか私には思えませんでした。

このことについては、No.125 でも述べています。もう一度原点に帰って下さい。我々は時々自らを顧みて原点に帰る必要があります。何故なら、何かの目的である手段を講じた時に、その時点から手段は目的に変わってしまうことはよくあることです。今、自分たちが1つ1つ行っているその本来の目的は何かを考えてみましょう。人間は地位や年齢と共に求められる役割は変わります。新人にそのようなことの大切さを教えるのは、その上の世代です。上の世代はきちんと早朝に時間通り病棟へ上がってきて、カルテを確認して、そして廻診時のチェック項目を身を以て教えることが役目です。

そして、同じことを継続して行うには、日々自分自身が日々の変化に対応して変わらなければならないことを教えることも求められています。私のような立場の人間にとっては、私の姿が病棟にあること自体が大切なことです。そして、患者さんには安心感を、若い医師達には黙々と同じことを続ける為の努力を続けることの厳しさと大切さを、次の世代に伝えることを求められているのです。その時々、各世代、それぞれの地位にある人間は自分の役割をもう一度振り返って原点に戻りましょう。

 

 

 

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