菊地臣一 コラム「学長からの手紙 〜医師としてのマナー〜

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185. 予断で自分の可能性を潰してはいけない

一個人の人生の分岐点、社会を動かすようなシステムの創出、或いは発見や発明は、最初は一個人の思いつきとそれに基づいた小さな一歩の踏み出しがその源です。もし、その思いつきを実行に移さなければ、個人の人生に執っても、社会に執っても大きな変革はなかった筈です。恐らく、その閃きがあった時、熟慮すれば、自分にもその困難さは理解出来、他人からみれば結果は分かり切ったこと、或いは不可能と思われたことだったかもしれません。問題は、明白と思われることや不可能と考えざるを得ないことでも、「先ずやってみる」と決断する意志の力があるかどうかです。行動にしてみなければ何も生まれません。勿論、行動しても何も生まれないことの方が多いでしょう。しかし、このような決断・実行の機会を提えるか見送るかで、その積み重ねは将来大きな違いを生み出すに違いありません。

我々医師は、医療や医学を遂行する場合は、様々な困難や矛盾が目の前に立ちはだかります。所謂秀才は、往々にして明確な展望を持っていて、その場その場で明快に判断していきます。しかし、所詮、人間が考える見通しなどは、後になってみればその見通しの甘さや不透明さに気が付く筈ですし、常にその見通しに添って行動していたら、この結果は、誰でもが予想出来る平々凡々たるものでしょう。所詮秀才に、「創造性が乏しい」と巷間言われるのは、創造性が乏しいのではなくて、見通しの計算が出来てしまうので、その行動が「無駄な努力」と判定しがちだからでしょう。“やってみなければ分からない”という精神は大切です。

人生に於いて、後から振り返ってみて、あの時の決断や行動が自分の人生のターニングポイントであったと考えられる行動や、世の中を大きく変えた発明や発見、あるいは、システムの開発などの最初は、恐らく小さな一歩であったに違いありません。しかし、その時予断でもって、「余り可能性がない」と切って捨てていたら、その後の変化や発展は無かったに違いありません。どんなことでもまずやってみることです。そして、やってみた後で、或いはやってみながら考えることこそが、自己を変革するのには欠かせない手順なのではないかと思います。

自分自身の人生を顧みても、憧れの医師の元で学んでみたいと思っていましたが、それは、所詮、夢でした。英語力は全くないし、海外留学に必要な資格も持っていないのだから夢でしかなかったわけです。しかし、私は一歩踏みだし、手紙を出しました。その結果、その手紙の返事には「失望した」という字が書いてありました。今の自分なら、その「失望した」という文章から、私は行くのを断念していたかもしれません。

しかし、私は、文字通り「失望した」という以上の意味にはとりませんでした。そして、行動を起こし、海外に出かけて行きました。私という人間を知っている友達やその手紙を読んだ第三者の人間からすれば、「余りにも無謀」という想いがした筈です。でも、結果的には、その時の私に執っての大きな決断がその後の自分の人生を変えたわけです。自分の能力の無さを過剰に意識したり、余りの困難さが目に見える為に最初の一歩を踏み出さなかったり、或いは最初から諦めたら、何事も夢は夢のままで終わってしまい、実現しません。予断をもって諦めていたら、その後の道は拓かれないものです。従って、人生の道々で、何か問題にぶち当たったら、まずトライしてみることです。トライしてみないことには、どんな可能性も生まれてきません。考えるよりもまず最初の一歩を踏み出すことです。

 

 

 

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