菊地臣一 コラム「学長からの手紙 〜医師としてのマナー〜

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181.環境に甘えていないか。与えられた環境は万古不変と思い込んでいないか。

久し振りに筆を執るような出来事がありました。第6学年の学生に対するベッドサイド・ラーニング、即ち、アドバンストコースが2年目に入りました。先日、じゃんけんで負けた学生が、整形外科を選択した学生の代表として「あまり厳しくしないでくれ」と申し入れてきたとの報告を受けました。それを聞いた時、自分の血が逆流するような怒りを覚えました。しかし、冷静に考えてみれば、教育というのは教え手と受け手側の求めるものが一致して初めて成立するもので、残念ながら我々の去年のやり方は一致していなかったという点で反省させられました。

私を含め、整形外科は懸命に学生の面倒をみるということを医局の方針としてやってきました。また、アドバンストコースの学生は、学生としてではなく社会人として接し、我々医局員の医局員同志、或いは、対外的な社会人としての付き合いそのままに彼等に接することが最大の誠意であると思い、その通りに実行してきました。それが、「厳しすぎる」、或いは、「国家試験の勉強の妨げになる」という不満があるというのです。自らを律するのではなく自分のペースにカリキュラムさえも決定し、そのペースに当てはまらないものは排除するという考えだと思います。

それは、自分の限界に挑戦して自分自身を高めるということからすると、全く相反する考え方です。しかも、彼等に医局員と同じような遇し方をすることが最高の礼儀であるという我々の概念が通じていないのです。そうすると、私が自分の家族を含めて、もてる全てを出して、1ケ月の終りに、ご苦労様でしたという意味の会食の会をしていたのも、ひょっとしたら彼等には有り難迷惑だったのかもしれません。短い期間とはいえ、共に働いた仲間、その仲間と別れの宴を催すという組織に生きるいう人間として当然のことが彼等には煩わしいと映っているのかもしれません。私は、去年のアドバンストコースの学生の何人かから誠意溢れる礼状をもらって心を熱しました。そこには、対等に扱ってくれたことに対する学生の感謝の気持ちが綴られていたからです。我々の意図は学生に通じていたのです。

一方、医局内ではこんなこともありました。最近、大学院生の勤務先の給料が安いという声が挙がり、その幾つかに就いては、私自身が利益集団の代表として交渉に当たりました。大学院生が、経済的な心配なく研究に打ち込めるように、そして、臨床を離れることの不安を払拭する為に、週の半分を研究に当て、もう半分を臨床に従事し、それで給料を戴き、その給料で生活を賄うという自分ながら良いアイディアだと思い、実行し始めました。しかし、懸命に努力してつくったそのような環境が当たり前になると、大学院生は一般職員、或いは研修医として働いている人間の給料とあまり差がないことも少なくなく、更には、以前に勤務した病院よりも下がらないということを原則として次の病院に要求すると、最終的には給料は常勤の医師より高くなってしまうこともあります。

考えてみれば、このような発言、即ち、厳しくしないでくれ、或いは、給料が安いという発言は、与えられた環境の素晴らしさに気付かず、良かれと思って努力してつくったシステムのなかで、より自分に都合よく生きたいという権利の主張ばかりが目に付きます。これを第三者からみると、不愉快に映ることもまた我々は認識する必要があります。「厳しくしないでくれ」という発言は、スタッフは自ら厳しいスケジュールの中で学生が厳しく感じるような懸命な教育指導をしたということを意味しています。その内容には色々問題もあったのかもしれません。しかし、少なくとも学生を医師と同様に扱おうという意識は貴いものです。それを、「厳しくしないでくれ」と主張することにより、学生に社会人として対等に接しようという医局の善意まで否定されたと私を含め医局員は思い、その環境の供し手はもはや、そのような環境の提供をやめてしまいます。

一方、「給料が安い」という主張の裏には給料が出ている、或いは、少なくともその給料で生活しているという事実があります。給料をより高くというと、社会一般の常識に照らしてどうなのか、或いは、自分の言っている給料の額は他の大学院生でない医師の給料と比較してどうなのか、週の半分しか働いていない人間としてそれだけ主張して良いのかなどという問題点が浮上してきます。この主張があまり強くなると、「だったら働け」、或いは、「大学院なんか辞めてしまえ」と、折角の相手の善意までも否定し兼ねないことになってしまいます。

与えられた環境は万古不変のものではありません。与えられた環境は何らかの歴史的経緯により築き上げられたものです。その築き上げられた環境の小さな問題の揚げ足を取ると、自分達の良いことを含めた環境の全てが無くなってしまうことにもう少し我々は留意する必要があるのではないでしょうか。

 

 

 

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