菊地臣一 コラム「学長からの手紙 〜医師としてのマナー〜

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175.手段と目的をより明確に

仕事をするうえでは、手段と目的を取り違えてしまうことが良くあることは以前にも No.133 で述べています。最近、このことは、なかなか避け得ない問題だということを痛感させられました。小児悪性腫瘍の医療トラブルを巡って、如何に患者さんに密着して診療を行っているかを示す一つの例として、診療側から早朝回診のことを話したそうですが、家族は、早朝の回診などは動物園の見学をしている様なものだと言い放ったそうです。この話を聞いた時には、腹が立ちましたが、ひょっとしたら、本当に患者さん側にそう思わせる何かが、医療サイドに無かったのだろうかという疑問も湧いてきました。

早朝回診の必要性に就いては、以前にも書いた様に、医師のいない最も長い夜の時間帯を短くすることと、朝一番に患者さんの様子を伺って、それによって患者さんの愁訴を、その日のうちに対応するという目的を達成する為の手段として早朝回診をすることにしました。それは、私が一般病院で長い間勤めて得た、患者さんの信頼を得る最も確実な方法だという思いがあったからです。しかし、私がそう思うに至った過程には、幾つかの悲痛な体験が背景にあります。患者さんの信頼がなかなか得られない、或いは患者さん側の誤解や我々医療側の仕事に対する無理解や誤解から、医療不信を招いたことがあります。そういった悲痛な体験がこのシステムの裏付けになっています。その様な悲痛な体験の無い人間にとっては、早朝回診はややもすればセレモニー化してしまうことを、教えてくれているのではないかという気がします。

どの組織でも、一つのシステムが出来上がるその過程には、それなりの理由や歴史的経緯があった筈です。二度と繰り返してはならない、或いはその様なシステムを築き上げなければならなかった悲痛な原体験があった筈です。しかし、時を経るごとに、この様な悲痛な原体験やその原点となった出来事は忘れ去られてしまいます。そして、作ったシステムが形だけ残っていくのが、医療の世界に限らず、どんな世界でも普通にみられることです。つまり、そのシステムを作った世代ととは異なり、次の世代の人間にとっては、悲痛な体験やそのシステムを作り出す切っ掛けとなった原体験を共有していない為に、どうしてもそのシステムの必然性を充分には理解出来ないが故に、システムが形骸化していくのです。また、このことは、次の世代に悲痛な体験を伝えることの難しさをも物語っている様な気がします。

しかし、手段と目的を絶えず再評価する動きが無いと、必ず良かれと思ってやった善意から出来上がったシステムや慣習も、相手にとっては必ずしもそうは受け取られない可能性があることに思いが至らなければならない様な気がします。

 

 

 

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