菊地臣一 コラム「学長からの手紙 〜医師としてのマナー〜

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173.治療に際しての気配りは患者のみならず周囲へも

病院の性格上、重篤な患者さんが入院患者の大部分を占めています。しかも、未成年の悪性腫瘍が少なくありません。患者さんは、大人でも子供でも、悪性腫瘍に自分が罹患したとき、悪性腫瘍という病気に自分の怒りをぶつけることは出来ません。悪性腫瘍にぶつけても反応はありませんし、何故自分だけが、或いは自分の可愛い子供だけがこんな悪性腫瘍に罹るのかといった怒りをぶつけても感情の捌口にはなり得ません。その怒りの矛先は必然的に医療従事者に向けられます。その際、本人や家族に対しての悪性腫瘍の診断や治療に関する説明が微に入り細にわたり、緻密であればあるほど、患者さんや両親は医師に対しても、治療の内容や結果に対して怒りや不満をぶつけることは出来なくなってしまいます。その場合、怒りの矛先は医師を含む医療従事者の些細な言動に向けられます。

私は一般病院でその履歴の大部分を過ごしたこともあり、患者さんへの対応という点ではどこの病院にも負けないぐらいやっていると、自負しています。きちんとやっているという自負は、恐らく教室員が等しく持っていると思います。早朝からの廻診、一日三回の廻診、検査や治療に対してのその都度の説明など、懸命にやっていても医療トラブルは起きます。病院の性格上、どんなにきめ細かく対応してもいや、きめ細かく対応しているからこそ医療トラブルが起きるのかもしれません。何とも皮肉なことです。しかし、嘆いてばかりはいられません。より良い医療、満足出来る医療は到底叶わないまでも、我々は納得出来る医療を提供する義務があります。

小児で最近幾つかの医療トラブルがあったのは、何れも小児の悪性腫瘍に纏わるものです。そのことが、我々に何かを教えている様な気がします。小児の悪性腫瘍の場合には、病気や治療内容の説明は本人もさることながら、両親に行われます。となると、母親は病気に対する怒り、何故自分の子だけがこの様な惨い仕打ちを受けなければならないのか、或いは親としてどうしてやることも出来ないその無力感から、怒りは周囲に向けられます。

その様な場合、病気や治療内容の説明がその合併症も含めて詳細であればあるほど、両親、特に母親はその怒りの持っていく場がなくなって遂には、些細な医療従事者とのやり取りのなかでその怒りを爆発させます。「そんなことを言われても困る」というのが医療従事者の正直な気持ちです。しかし、それでは問題解決にはなりません。我々のなし得ることは、病気やその病気に対する治療内容を詳細に、予後や合併症も含めて説明すると同時に、その事実を受け止める本人のみならず、家族への気配りが必要だということに思いが至る必要があります。

リエゾン精神医学的なアプローチも必要かもしれません。今後、この様な問題は、医療が高度化して、ハイリスクの治療に挑戦する様になればなるほど、医療自体に対する配慮と同じ位それを受け止める家族を含めて患者側の気持ちへの配慮が必要になると思われます。交感神経の役割り解明に貢献したウォルター・キャノンの言葉である「医師の大きな務めは、患者に希望と激励を与えることである。そのことだけでも医師の存在は正当化される」は患者の家族にも当てはまります。このようなユートピア的世界はもはや存在しないと言われるかもしれません。しかし、このことが今回の医療トラブルで我々が得た一つの教訓の様な気がします。

 

 

 

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