菊地臣一 コラム「学長からの手紙 〜医師としてのマナー〜

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171.自分を信じて頑張れない人間にはいつまで経っても飛躍はない

最近、妥協無き努力が足りないのでないかと危惧される事態が二つ程経験しました。今回はそれについて、自分自身の考えを述べてみたいと思います。

一つは留学生からの電話です。留学生が思うように研究が進まないこと、その理由は環境に多分の原因があること、自分自身の英語の無さも、もう一つの要因であること等を報告してきました。留学とはそんなもので、与えられるものではなくて獲得するものであることを説きました。その際私は、その人間の以前書いた論文が英語になっていないことに触れ、君自身がその道の権威である先生の元に留学しているのだから、その研究成果をプレゼンテーションさせてもらい、アドバイスを戴いて、それを元に手直ししてそれを国際的な雑誌に投稿するように勧めました。このように機会は眼の前に拡がっているのに、何故自分のなし得る全てをやらないのかに不満が残ります。
もう一つの事柄は、やはり日本語の論文で注目された研究ですが、国際誌に投稿したところ、色々な理由で掲載は叶いませんでした。そこで私は、彼の留学中にその道の専門家に意見を聞いて、研究を更に磨いて再度世に問うことを指示しました。この件も、今以て色々私がアドバイスをしたにも関わらず、遅々として進んでいません。

この二つの事例は、如何に自分自身がその研究に愛着を持っていないかということを示すと同時に、少しの障害により簡単に諦めてしまうという研究者の粘りの無さを現しています。SpineのEditorであるDr.Weinsteinは、日本人の投稿論文は一度戻すと二度と戻って来ないことが多いが何故か、ということを話していました。私からすれば、自分の研究結果に自信があって、その方法論に、批判や問題があれば、何故それを克服する努力をしないのかと歯痒い思いがします。その研究には問題があっても、次の研究ではうまくstudy designが出来て、国際誌に発表出来るような研究が完成すると思うのは錯覚です。今出来ないことが、次に出来る筈がありません。一つ一つの研究を通じて自分自身の研究方法や研究に対する論理の展開の仕方を学んで行くのです。

もう一つは、自分が与えられた環境を当然の如く思い、その環境に如何に不備があって、不満足の仕事しかできないかを訴える人間が多いことです。この問題に関しては、以前にも度々書きました。時間が無くて、金が無くて研究が出来ないかというなら、好きなだけ時間と金を与えられたら、本当に研究が出来るかという問題です。また、研究とは、これも以前にも書きましたが、研究が世に問うまでに辿り着くまでの準備や手順は、自分で少しずつ積み重ねて行くのであって、それもまた自分を磨く過程の一つなのです。不平不満を言う前に、先ず自分にとってプラスの条件を考え、それを糧に妥協せずにとことん研究を完成に向って進めることこそが自分を磨くことになるのです。もう少し自分の置かれている環境のプラス面を他者と比較して、その有難みを踏まえて頑張ってくれなくては何の為の環境整備か分からなくなってしまいます。

 

 

 

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