菊地臣一 コラム「学長からの手紙  〜医師としてのマナー〜

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132.再び問う。原点を忘れるな

前にも同じようなタイトルで書きました。今回も思うところがあって筆を執りました。先日の新潟での東北整形災害外科学会での出来事です。私は急性腹症によって残念ながら欠席のやむなきに至りました。東北整形災害外科学会に対しては、医局としては、日本整形外科学会総会と基礎学術集会に並んで医局全員出席のシステムを取っています。このシステムにより発表が無くとも、何の制約も無しに学会出席が可能になっています。

特に若い人にとっては学会発表の登竜門ともいうべき場なので、若い人にとっては大事な学会でもあります。ところが助教授からの報告によると、若い医局員の殆どは学会場には居らず、夜には2、3人しかいなかったという報告を受けました。私は今更ながら医局員の自覚の無さを感じました。

大学にいると学会に出席出来ることがどんなに素晴らしいことか、段々と分からなくなります。我々が空気や水を余り大切なものだと思わないようにです。東北整形災害外科学会を医局員全員が出席出来るようにしたのは、私が教授になってからです。私としては、若い医局員が学会の空気に触れるチャンスを作ろうと思ってそうした訳です。残念ながら「親の心子知らず」で、若い人達は全員出席を良い事に、それを何か別な目的に使っているようです。

いくらチャンスを与えられても、それをものに出来るかどうかは自分次第です。自分を磨くには、結局は自分しか無いのです。人は往々にして自分が旨くいかないと他人のせいにしたり、運が悪かったと言い訳をします。しかし、運を味方につけるのも自分の努力や才能のうちです。何故この大切な機会を生かそうとしないのでしょうか。

この自由な時間を大切に使わないのなら、何も自由にしておく必要はありません。発表する人だけが行けば良いのです。私は本人逹に学会に行く事の有り難さや喜びを認識してもらう為に、次回より東北整災への全員出席のシステムは止めようと決意しました。その結果少しでも今の若い医局員が、何の憂いも無く何の制限も無く学会に出席出来る、その事の素晴らしさを知って貰う為です。どうぞ原点に帰って地方会出席が自由に出来ることの持つ意味を考えて下さい。

 

 

 

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