菊地臣一 コラム「学長からの手紙  〜医師としてのマナー〜

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119.現在の環境はその時期の集大成を表している

ある組織が持っている習慣や規則というのは、それなりの歴史的経緯があります。我々の場合でいうと、我々が赴任した先でその病院の慣習や規則に違和感を覚え、妙に居心地が悪くてそれを批判し、かえって反感を持たれた経験は皆一度はあるでしょう。

私の以前居た県立田島病院は、整形外科はあっても、名ばかりのものでした。そうすると職員は整形外科とはそんなものだという意識があって、それがいいとか悪いとかという感覚は持ち合わせていません。しかしそのやり方や、その状態は現在の整形外科の水準から言えばレベル以下であると決め付けても、何の解決にもならないのです。それを改善する為には、自ら黙々とやった後に、何故そういう事が必要かを納得するまで説明して、お願いするという手順が必要です。そうすると、周囲は皆納得して付いてきます。私はそういう風にして県立田島病院整形外科の立て直しを図りました。その状態がいいかとか悪いかとかを、それなりの歴史的経緯を無視して、いい加減な気持ちで口にすると、自分の仕事がやりにくくなり、ひいては自分の評価を下げて、結果的にその病院に愛着がなくなってうまくいかなくなります。

医局でも同じような事は言えます。最近の医局員は、国内ないし海外留学が当たり前だと思い、スタッフ或いは本人が、「何時留学させてくれるのか」という事を口にします。考えてみればおかしな話で、入局時に留学させるという事が契約条件に入っているかのような錯覚さえ覚えます。それでは今から5年前を振り返って下さい。自分の負担なしに留学できた人が何人いたでしょうか。その為に自分が払う犠牲の大きさが今と比べてどのぐらいあったでしょうか。現在の状況だけで物事を判断すると、つい国内留学や海外留学が権利のような錯覚をもってしまいます。他大学においても、医局員の大多数が留学経験をしているという事はありません。我々の医局は小さいからそういう事も可能なのかもしれません。あるいは医局の方針として積極的に人を表に出して人材育成を図るという方針のあるせいもあるでしょう。

国内留学なり海外留学をするという為には条件が必要です。一つは、本人にやる気があるという事です。また医局には彼を送り出す財政的、人的余裕があるという事です。それでお互い助け合って、自分が行っている時には他人がカバーしているのですから、「自分が戻ってきたら他人が留学出来るようにカバーしてあげよう」という相互信頼関係があって初めて成り立つものです。しかも留学は権利ではなくて、みんなで留学して、自らも他人も共に伸びようといういい方向に働くのが、最もいい姿な訳です。これだけ留学を医局員が当然の権利と思うまでには、幾多の困難や苦労がありました。人的余裕、財政的負担、人となどの、あらゆる努力が為されて初めて「誰でも留学出来る」という体制が出来たものです。勝手にこういう体制が出来たわけではありません。そういう医局の努力に対する感謝や、自分が留学できるという恵まれた環境に感謝して初めて、こういう留学制度が益々実のあるものになって、いい伝統が後輩に引き継がれていくのではないでしょうか。

現在ある与えられた環境は、その時期の何等かの歴史的経緯の集大成です。いたずらにそれを批判したり、いたずらにそこに至るまでの歴史的経緯を考えずに軽軽に発言すると、組織にいるまわりの人間を傷付け、遂には自分自身をも傷付けてしまいます。ある環境を直そうと努力するのは結構ですが、それを是正する為には、なぜそうなったかという事を一度斟酌してみる必要があります。

 

 

 

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