菊地臣一 コラム「学長からの手紙  〜医師としてのマナー〜

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74.身命を賭した行動が人の心を掴む

人生には岐路というものが幾つかあります。人間関係を作っていく上でも岐路が何回かあるように思います。今回は人間関係の岐路について私の経験したエピソードを記し、タイトルに掲げたような重要性を知って戴ければと思います。

私が一般病院で勤務していた時に、患者さんが麻酔事故で命を失いました。私はその手術に入っていなかったのですが、当日の責任者ということであらゆる対応が迫られました。その時は周囲の全ての管理職の人は、私に自分の職場の人間に類が及ばないことを強く求めました。私は、そのことを一番心に掛けて対処しました。私の判断で病院を説得し、警察官を入れて現場検証して戴きました。結果的にはそれが良くて、患者さんの家族に弔慰金を払い、裁判になりませんでした。

その時患者さんの家族を含めた関係者が誰も傷つかないようにと、私の取った対応の中に、ここには書けない私自身が墓場まで持って行かないようなことまでしました。しかし時間が経つとともに、その対応にある科の部長は、「私は知らない、関係していない、そんなことをしてただで済むと思うか」ということを言われました。しかし、その部長は事故当日私に、「私の部下である関係者達に類が及ばないように」と最初に言った人間です。私はその時非常に腹が立ちカッとなり、「私が辞職し、場合によっては医師免許は剥奪され、それで済むならそれでいいんでしょう」と啖呵を切りました。

結果的には先程言ったように裁判にもならず、関係した医師や看護婦達に類は及びませんでした。私の取った行動により、それ以来看護部は、全面的に手術場の看護婦さんを含めて、今まで以上に私をサポートしてくれるようになりました。しかし、今だからそう言えるのであって、その時は私は本当に覚悟を決めました。世の中は薄情なもので、他人は自分の所に類が及ばないとなると、その類が及ばないようにと処置をしてくれた人間を、安全な立場から批判を始めます。そういうことで、私は一時人間不信にも陥りました。でも人間関係の酷薄さを知ると同時に人間の素晴らしさもまた知りました。

このような経験はもう二度としたくない経験ですが、やはり人は立場の弱い人程そういう時の人間の対応をじっと見ているように思います。ですから、いざというときには人間は自分の身命を賭して主張し、行動すべきなのではないでしょうか。そういう行動が結局自分自身の評価を高め、その後の仕事もやり易くなり、更に自分自身が大きくなれると思います。

 

 

 

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