菊地臣一 コラム「学長からの手紙  〜医師としてのマナー〜

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67.当たり前のことを当たり前にやっていればそれで良い

私が教授就任して3年が経ち、このマナーの項目も60を越えました。私の研修医に言いたいことは大体言い尽くしたように思っておりましたが、幾つかやはりまだ言っておきたいことがあります。

このタイトルを思ったのは、以下のようなエピソードがあったからです。何かトラブルがあると何が悪かったかの原因究明と、今後どうするかという対策がたてられます。私自身の利点の一つとして、他に誇り得るものがあるとしたら、トラブルに遭遇した時に決して他人や自分を責めないで今後どうするかということだけを考えることが出来ることです。現に今までそういう風に実行して来ましたし、大学に勤務するようになってからは君達もそういう現場を一度ならず見た人もあると思います。

最近も頸椎の脱臼骨折を見逃したというトラブルがありました。私は決して何も言いませんでした。ただ報告をした助教授に何故見逃したかの原因究明と、今後これを防ぐ為にはどうしたら良いかの対策を立てるように話しておきました。その結果を助教授より聞いてこの一件は落着しました。しかし、私の心には何かが足りないと言う気があります。それは私自身が以前、頸椎脱臼骨折の見逃し例を二度程報告しており、それを医局員は読んでいないのか、という怒りからくるものではありません。当たり前のことを当たり前にしていないからそういうミスが起こるのだと言うことを自覚していないのではないかという危惧が私の頭から去りません。

そう思う根拠はたった一つです。当事者達が誰も私のところにそのことの報告、並びに今後の決意の披瀝に訪問した者はおりません。彼等は何かを勘違いしているのかも知れません。私が何も言わないことは、私が何か疚しいことがあるか、言えない何かがあるか、あるいは大人ぶって言わないのか、と思っているのかも知れませんが、そうだとしたらそれはとんでもない思い違いです。私がミスを咎めないということと、その当事者たるその本人達が深くそれを反省し、今後のそのミスを無駄にしない為にはどうしたら良いかということを堅く心に誓うこととは全く別次元の問題です。

組織のトップたる人間にその事件の当事者達がその時のことを潔く私に披瀝する勇気がなくて何で反省が出来ましょう。謝りに上司のところに来いと言うのではありません。以前にも書いたように、他人はその人間がどう考えているかは本当のところ分かりません。だから、一言余計にあるいは周囲に分かるように自分の態度を鮮明にすべきものです。それが結局は自分の得になるし、周囲の理解も得られます。反省している人間を叱る人間はどこにも居ません。

こういうトラブルがあった時に原因究明と防止のシステム作成はそれは組織として当たり前ですが、組織を構成するのは人間です。人間それ自身が過ちがあったらそれを認め、それを悔い、そして今後に役立てるという当たり前のことがなされない限り、決してどんなシステムを作ろうとそのシステムには血は通いません。当たり前のことを言ったり、当たり前のことをやったりするのは最も難しいのです。

 

 

 

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