菊地臣一 コラム「学長からの手紙  〜医師としてのマナー〜

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62.相手の意図しだいで言葉の解釈は異なる

自分の言っている事が必ずしも相手にはそのまま伝わっていない事が少なくありません。「実際そんな意味で言ったのではないのだがなあ」という事が多々あると思います。つい最近私は極めて不愉快な経験をしました。率直にここに記してみたいと思います。

ある人の言葉を借りて言うと「医局の不平分子が医局が医療器械ディーラーより寄付をもらいその寄付の内半分は教授の懐に入っている」と言われました。私は、余りの事に暫く落ち込みました。一つは、大学を通して奨励会に入った寄付金がどうして私の懐に入れる事が出来るのかという馬鹿馬鹿しさと、もう一つは、医局の一人一人にはっきり言って自分との相性のある無しはあります。しかし、そういう事は一切考えずに、ひたすら医局員個人個人を、徹底して、しかも誠意を持って指導してきたつもりが、他人から、「医局の不平分子が」という言葉で言われることが明かになった事です。

まず、この事態の意味する所はどこにあるか考えてみます。一つは医局員が本当に確信犯的な意思でこのように広まる事を望んで言った可能性があります。もう一つは医局員のよくある、教授に対する愚痴として言った可能性があります。更に第三の可能性としては「御宅の人工関節は使えない」とはっきり言うのは憚られて「医局は寄付をもらっている、教授もその内半分位はもらっているんじゃないの」という御愛想のつもりで言った可能性があります。私は、この三番目の可能性が一番高いと考えています。

しかし、自分の意図が正確に伝わると思って不用意に相手に喋っている人間がいるとしたら社会人として失格です。必ずしも世の中は自分に寛容を持って接してくれる人ばかりではありません。恐らくフィフティ・フィフティの世界でしょう。ですから相手に決して載せられない事、それから相手の意図はどこにあるのかを十分に評価しながら話す事が必要です。ですから、よほど気心の知れた人間以外には愚痴を言わないことです。愚痴を愚痴と取ってくれる人間は、そんなに多くないはずです。真の友しか愚痴は愚痴としか取ってくれません。本当に心許しあえる人しか自分の愚痴を愚痴として取ってくれないと思ったほうが無難です。口は禍の門というのはこういった状況をさすのではないでしょうか。私自身の自戒をこめてここに記しておきたいと考えます。

 

 

 

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