広島の“お好み焼き”と復興

自身が生まれ育った広島のソウルフードの一つ、「お好み焼き」。広島の方々はこれが“お好み焼き”であるとし、"広島風"という言葉をつける必要はないと大きな声で言われます(ここは譲りません!)。今や全国、それどころか海外でも愛されるこの一品の歴史は、戦後の広島から始まります。

1945年、ある日を境に広島の街並みは一変しました。原爆災害後、市民の生活は一変し、食糧難と向き合うことを余儀なくされました。再生の希望を胸に秘めた人々が手にした食材はわずかでしたが、その中から一つの料理を生み出しました。

当時、アメリカ軍による配給で多かったのはメリケン粉(小麦粉)で、それと水で作った生地の上に、手に入る少量の野菜を乗せて焼く。これがお好み焼きの起源です。

この時期のお好み焼きは、まさに“お好みで焼く”ことから名付けられました。手に入る食材を自分の好きなように組み合わせて焼く、というこのシンプルな料理法は、食糧難の中で生き抜くための賢い手段となったのです。

当時、広島で収穫できる野菜の一つにネギがありましたが、価格が高騰し手に入りにくくなったため、代わりに当時安価で量のあるキャベツが使われるようになりました。その後、お好み焼きは主に屋台で広まるとともに、隣の店との差別化を図るために、もやし、海産物、さらには貴重な卵まで、様々な具材が積み重ねて焼き上げられるようになりました。

お好み焼きが生まれてすぐの1947年には、広島市内に最初のお好み焼き専門店が誕生しました。そのころから、腹持ちの良い焼そばを加えるスタイルも出始め、この地元の料理は広島市民から全国へと広まりました。現在では、厚切りのキャベツ、モヤシ、ネギ、イカ天、焼きそば、豚肉などを重ねて焼き上げ、卵で閉じ、特製ソースで味を引き立てる広島のお好み焼きは、広く知られるまでになりました。。この料理を食べると、その味わいの中に広島の歴史と復興の物語が込められていることを感じることができるはずです。

「お好み焼き」は、広島の復興と共に発展してきました。広島の文化を象徴するものとして、未来への希望と共に、その歴史を伝え続けています。原爆の記憶と共に生き続ける広島の人々が、困難に立ち向かい、それを乗り越えて新たな未来を築いていく姿を、実はお好み焼きは物語っているのです。福島のソウルフード、皆さん食して皆さんと共に進化させていきましょう!

広島風お好み焼きの調理過程を示す画像。キャベツや豚肉、焼きそばが重ねられ、特製ソースがかけられている。

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