能登半島地震を受け思い返す13年前の大震災
- 准教授
- 中野渡 達哉
- なかのわたり たつや
- 運動器リハビリテーション、運動器理学療法、運動学、脚長差、フィードバック
このメッセージの掲載日は、3月11日に近いので、私自身の13年前の経験についてお話しいたします。地震が発生した際、私は仙台市泉区にある松田病院で勤務していました。揺れを感じたのは、事務室で作業中の時でした。急いで隣のリハビリテーション室に向かい、そこに入ると揺れが急速に大きくなりました。揺れは激しく、立つこともままならないほどでした。私は目の前の治療台にいた患者が落ちないように押さえることしかできませんでした。揺れはひどく、棚の転倒防止用の伸縮棒ですら外れ、物が散乱しましたが、スタッフが協力して患者を保護したおかげで、幸いにもケガをした患者はいませんでした。イスに座っていた高齢の女性も、懸命に押さえてくれたスタッフに助けられたと話していたことを今でも覚えています。
地震の直後、暖房は効かなくなり、停電も発生し、病院の機能が著しく低下しました。エレベーターが動かなければ、リハビリテーション室に患者を連れてくることもできず、電気を使用する治療機器も使用できませんでした。そのため、各病室を回り、可能な方法でリハビリを行いました。中には手術を受けていたのが地震発生時であったという患者もいました。リハビリ以外にも、朝昼晩の炊き出しや患者の食事をバケツリレー方式で運ぶなど、様々な役割を分担しました。
一つ後悔していることがあります。発生から数日間、自宅に戻らずに仕事を続けていた同僚がいました。当時、私は0歳と3歳の子供を持つ親として、家庭の復旧を優先させてもらいましたが、同僚たちの献身に頼りすぎていたかもしれません。家族を隣県の実家に送り、私が仕事に戻れたのは翌火曜日でした。その時点で同僚たちにも疲れが見え始めていました。彼らも被災者のひとりであり、心配や不安があったことでしょう。もっと早く手を差し伸べ、協力し合い、他の人にも頼っても良いと感じる環境を作るべきであったと今でも思い返します。