リュージュ(龍樹)の伝言
第65回:『患者中心の医療の方法』を監訳して
2021/03/06
3月25日が待ち遠しい。私たちの積年のプロジェクトである『Patient-Centered Medicine: Transforming the Clinical Method』第3版(以下、本書)の日本語版がついに発行されるのだ。
「私たちの」というのは、日本プライマリ・ケア連合学会の若手医師部会(現:専門医部会若手医師部門)国際交流チームの有志「若手医師によるグローバルにプライマリ・ケアを考えるための翻訳研究会」、通称「翻訳研究会」のメンバーを含めてのことだ。この日本語版の「監訳のことば」にも書かせてもらったが、彼らがいなければこの日本語版を作る翻訳プロジェクトは成立しなかった。彼らの情熱と献身に、改めて敬意と感謝を表したい。
思えば、彼らから「海外のプライマリ・ケアの専門書を翻訳しながら精読して学びたいけれど,何が良いか」と問われて、本書を推薦したことが始まりだった。原著第3版が出版されてまだ間もない頃のことだったように記憶している。あれからかなり年月が流れた。出版社が見つからず悶々としたことも、他の仕事のために時間がとれず遅々として監訳が進まないこともあった。原著を翻訳しなければならない国にいることに不便さを感じないでもないが、むしろポジティブに考えたい。それは『マクウィニー家庭医療学』を翻訳した時にも実感したことだが、翻訳しながら著者と向き合い、「深い対話」をすることができたからだ。自分の家庭医としてのケアから指導医としての教育の方法まで、さまざまなことを、信念と価値観まで含めて振り返る機会を得たことの意味は大きい。
本書の著者たちとは、もう30年近くの付き合いだ。私が、カナダのブリティッシュ・コロンビア大学の家庭医療レジデント(専攻医)だった時に、選択研修として初めてカナダ、オンタリオ州ロンドンにあるウェスタン・オンタリオ大学(現:ウェスタン大学)を訪れて、故Ian R McWhinney教授から家庭医療学を学んだ際に、家庭医療学講座にいた本書の著者のうち3人にまずお会いしている。Moira Stewart先生、Judith Belle Brown先生、Carol L McWilliam先生。当時、それぞれ疫学、ソーシャルワーク、看護学を専門とする若手研究者で、この時代からすでに多専門職で協働して「患者中心の医療の方法」(Patient-Centered Clinical Method; PCCM)の診療・教育・研究の開発に挑戦していた。同様にMcWhinney先生の薫陶を受けた家庭医のW Wayne Weston先生とThomas R Freeman先生にもその後お会いすることになり、今に至るまで親しくさせてもらっている。彼らは40年近くにわたり世界でこの分野の発展を牽引してきた、いわばPCCMのドリームチームなのだ。
翻訳についての苦労話は尽きないが(笑)、どうしても私には意味が理解できない英文(かなりの数になった)については,私の講座の同僚である英国家庭医学会正会員・専門医(MRCGP)のMaham Stanyon先生と相談して、どのような日本語に訳すかを検討した。
例えば、「pimping」。PCCMの教育の章に出てくる言葉だが、日本の英和辞書には「ポン引き」のような訳語しか掲載されていない。ところがこれは、医学教育の悪しき慣習としての指導医による研修医への「質問責め」のことだった。最近これについての研究論文も発表されている。大変な誤訳をするところだった。
文学にも造詣の深いMahamから学ぶことは多く、彼女の多大な貢献に感謝している。例えば、「to take its toll」。多くの症状で苦しんでいる高齢患者の事例の中に出てくる表現だが、これはアーネスト・ヘミングウェイの小説『誰がために鐘は鳴る(For Whom The Bell Tolls)』の題名の由来にもなっている英国の詩人John Donne(1572-1631)の「No man is an island(人は誰も島ではない)」で始まる宗教詩とその最後のくだり「Therefore, send not to know For whom the bell tolls, It tolls for thee.(ゆえに問うなかれ、誰がために弔いの鐘が鳴るのかと。それは汝のために鳴るのだ)」が鍵になる。これを知っていることで、この患者の不安がより深く理解できるようになる。
時にはネイティブ・スピーカーの彼女にとっても難しい言い回しもあった。例えば、「Fall had ascended ― in so many ways」。別の事例の中に出てくる表現で、活動的だった人が夏の終わりに大病に罹り、環境が一変して「一気に秋がやって来た」ということなのだが、かなり変わった珍しい表現だそうだ。秋として「Autumn」でなく「落下する」意味もある「Fall」を使い、「上昇する」意味もある「ascend」と対比させていることに何か隠された意図があるのか。日本の古典でも、例えば『源氏物語』の中に『伊勢物語』の一節をふまえた言い回しが使われていたりするので勘ぐってしまったが、まだ答えは見つかっていない。
ともかく、できるだけコンテクストに添って、著者の意を汲む努力をして監訳したつもりではある。ただ、英文に忠実に訳出するように心がけたため、日本語としての読みやすさが犠牲になってしまったところがあることは否めない。どうぞご容赦下さい。
どんな良い本も読まれなければ価値はないだろう。ましてPCCMという「医療の方法」についての本書は、ケアの現場で十分に使われることでその価値が上がる。日本で家庭医療、総合診療、プライマリ・ヘルス・ケアを目指す人たち、その指導をする人たち、そしてこの分野の研究をする人たちに、それぞれの診療・教育・研究の現場で本書の日本語版を思う存分使い込んでもらいたい。