講座の沿革

福島県立医科大学眼科学講座は、昭和19年の福島県立女子医学専門学校設立と同時に開講しました。そして、令和7年6月から第6代、向井亮教授が着任し、従来の伝統に加えて、黄斑・網膜・硝子体疾患においても大幅な診断技術、治療技術の向上を図っており、県内を中心とした30を越える関連病院との連携を持っております。

初代 清水光太 教授(昭和19年4月~昭和25年12月)

初代清水光太の肖像写真。フォーマルなスーツを着用し、真剣な表情でカメラを見つめている。
初代 清水 光太

昭和7年に東京帝国大学医学部をご卒業後、昭和12年より公立福島病院眼科部長を務められ、昭和19年に福島女子医学専門学校教授として赴任されました。昭和25年まで教室の礎を築かれ、眼科診療と教育に尽力されました。
東京大学在籍中にはトラコーマの研究に従事され、福島においても同研究を継続されるとともに、学童の屈折異常に関する調査・研究にも携わられました。
また、昭和11年発行の『図解眼科手術学』において「瞼裂拡大術および縮小術」の項を執筆され、眼科手術の分野でも高いご見識を示されました。
昭和25年、福島女子医専の大学昇格に伴い退職され、ご開業されました。長年にわたる眼科医療へのご貢献に対し、昭和54年には勲五等瑞宝章が授与されました。

第2代 梶浦睦雄 教授(昭和26年3月~昭和54年3月)

二代梶浦睦雄の肖像写真。眼鏡をかけた中年男性がスーツ姿で微笑んでいる。
二代 梶浦 睦雄

昭和13年に岡山医科大学をご卒業後、昭和23年に東京医科歯科大学に異動され、昭和26年に福島県立医科大学眼科学講座の教授に就任されました。以後28年にわたり教室を主宰し、その発展に尽力されました。
岡山医科大学時代より角膜乱視に関する研究に取り組まれ、教室運営においても一貫して眼光学を中心に豊富な業績を残されました。
昭和49年にはEl-Bayadi-Kajiuraレンズを用いた細隙灯顕微鏡による眼底観察に関する研究成果を国内外で発表され、昭和52年には第81回日本眼科学会にて特別講演「眼底細隙灯顕微鏡法―その理論と臨床―」を行い、日本医師会医学賞を受賞されました。

第3代 加藤桂一郎 教授(昭和54年10月~平成14年3月)

三代加藤桂一郎氏のスーツ姿のポートレート。眼鏡をかけ、真剣な表情でカメラを見つめている。
三代 加藤 桂一郎

昭和36年に福島県立医科大学をご卒業後、昭和54年に同大学の教授に就任されました。
ご専門は視機能学であり、白内障を中心とした調節機能やその異常機序に関する研究に精力的に取り組まれ、多数の論文を発表されました。
また、昭和61年には厚生省VDT作業に関する研究班に参加され、さらに斜視・弱視の発生要因や神経眼科領域の眼窩疾患の診断に関する研究も推進されるなど、研究領域は多岐にわたりました。
平成6年の第98回日本眼科学会では、宿題報告「屈折調節に関する諸問題―調節機能とその臨床評価―」を担当され、臨床眼科の発展に大きく寄与されました。

第4代 飯田知弘 教授(平成15年1月~平成24年3月)

四代飯田知弘氏のポートレート。ビジネススーツを着用し、真剣な表情でカメラを見つめている。
四代 飯田 知弘

昭和60年に新潟大学医学部をご卒業後、群馬大学眼科学講座に入局され、平成15年に福島県立医科大学教授に就任されました。
群馬大学時代より、中心性漿液性脈絡網膜症や加齢黄斑変性における画像診断、とりわけ蛍光眼底造影や光干渉断層計(OCT)を用いた病態解析に従事され、多くの学術論文を発表されました。
また、脈絡膜新生血管に対する摘出術など、難治性網膜硝子体疾患に対する高度な手術治療も数多く手がけられました。
平成24年より東京女子医科大学眼科学講座に異動され、さらに臨床・研究の深化に努められました。

第5代 石龍鉄樹 教授(平成24年12月~令和7年3月)

5代 石龍 鉄樹

昭和59年に福島県立医科大学をご卒業後、昭和62年には国立名古屋病院(現・名古屋医療センター)に勤務され、安藤文隆先生のもとで網膜硝子体手術の研鑽を積まれました。
その後、平成24年に福島県立医科大学教授に就任されました。
加齢黄斑変性における画像解析、特に眼底自発蛍光による萎縮病巣の評価、網膜血管構造の三次元解析、さらには前房水中のサイトカイン解析など、多方面にわたる研究を推進されました。
また、伝統ともいえる難治性網膜硝子体疾患に対する手術においても卓越した技術を発揮され、臨床・研究・教育の各面で教室の発展に大きく寄与されました。

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