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【プレスリリース】前脳基底部アセチルコリン神経の再認記憶における役割の解明

前脳基底部アセチルコリン神経の再認記憶における役割の解明: アルツハイマー型認知症の記憶障害メカニズムに関する新発見

前脳基底部には、記憶に関与すると考えられている2種類のアセチルコリン作動性神経細胞が存在し、中隔とマイネルト基底核と呼ばれる脳領域に位置します。本研究部門の小林和人教授・西澤佳代助教・小林とも子研究員と広島大学の坂田省吾教授・岡田佳奈研究員の共同研究チームは、イムノトキシン細胞標的法を利用して、それぞれのアセチルコリン神経細胞を除去し、2種類の細胞は再認記憶の異なるメカニズムに重要な役割を持つことを明らかにしました。この結果は、アセチルコリン細胞の変性と関係するアルツハイマー型認知症における記憶障害の病態メカニズムの解明に役立つものと考えられます。

 

【背景】

 アルツハイマー型認知症では、進行する神経変性と共に重篤な記憶障害が生じますが、その初期症状として再認記憶の障害が顕著に現れます。それと同時に、様々なシナプスの変性や神経細胞の死滅に先んじてアセチルコリンを伝達物質とする神経細胞が脱落を始めることも知られています。これまで、認知症の記憶障害にアセチルコリン神経細胞の機能低下が関わっていることは、早くから指摘され、研究が積み重ねられてきましたが、どのアセチルコリン作動性神経細胞が再認記憶にどのようにして関わっているのかについてはほとんど明らかになっていませんでした。

 前脳基底部には主なアセチルコリン神経細胞が2種類あります。ひとつは内側中隔に存在する神経細胞群で、海馬に脳領域に投射しています。もうひとつはマイネルト基底核に存在し、大脳皮質に投射しています(図1)。

【図1】アセチルコリン神経細胞を選択的に取り除く方法

【図1】アセチルコリン神経細胞を選択的に取り除く方法
A: 細胞標的法:遺伝子改変技術を利用して脳内の特定の神経細胞に、標的タンパク質(この場合は、ヒトのインターロイキンー2受容体αサブユニット)を発現させます。この動物の脳内にイムノトキシン(IT)と呼ばれる人工タンパク質を注入すると、標的タンパク質を認識して細胞の中に取り込まれ、この細胞を死滅させます。この処理によって、脳の神経回路から標的タンパク質を持つ細胞群を選択的に除去することができます。
B: 2種類のアセチルコリン神経細胞の除去:前脳基底部のアセチルコリン神経細胞には、内側中隔から海馬に投射する細胞群(緑色)とマイネルト基底核から大脳皮質に投射する細胞群(水色)が存在します。アセチルコリン神経細胞において標的タンパク質を発現する遺伝子改変マウスを作製し、この動物の内側中隔あるいはマイネルト基底核にイムノトキシンを注入しました。各領域のアセチルコリン神経細胞を染色して視覚化すると、正常群にはアセチルコリン神経細胞(写真の中で黒くみえます)が存在しますが、除去群ではこの細胞が取り除かれていることがわかりました(矢印で示した部分)。また、それぞれの領域のアセチルコリン細胞以外の神経細胞は除去されずに残っています。

 

【方法】

本研究ではこれらの細胞群をイムノトキシン細胞標的法を利用して別々に取り除き、物体探索課題を用いて記憶機能を検証しました。動物の物体探索行動(物体に近づき、鼻先で触ったりにおいを嗅いだりする行動、新奇性の高いものに対して高頻度で起こる行動)を指標として、①何度もみた物体の位置物体そのものを覚えているかどうかを検証し(図2, 連続物体探索課題)、②一度だけ見た物体の位置物体そのものを覚えているかどうかのテストを行いました(図3, 単回物体探索課題)。

図2】連続探索課題において、内側中隔アセチルコリン細胞を除去すると物体の位置が思い出せなくなるA: 連続物体探索課題:円い広場に5つの互いに異なる物体を置き、マウスに自由に探索させます。この探索を何度も繰り返すとマウスは物体に慣れて、徐々に物体に接触する回数が減少します。次の空間テストで2つの物体の位置を変えると、正常なマウスは動いた物体に対してのみ好奇心を復活させ、また触って探索するようになります。最後の物体テストでは、ひとつの古い物体を全く新しい物体と交換します。正常なマウスは以前からある物体に対する探索量は少ないままですが、新奇な物体に対して頻繁に探索するようになります。 B: 空間テストにおける内側中隔アセチルコリン神経細胞除去群の障害:内側中隔にあるアセチルコリン神経細胞が正常なコントロール群では、空間テストで移動した物体への探索量がそのままの物体への探索量よりも多かったのですが、同細胞を除去したマウスは、移動した物体への探索量が増加しませんでした。内側中隔のアセチルコリン細胞の損傷によって、空間に関する再認記憶が障害され、空間テストで移動された物体がどれであったかがわからなくなったのです。 C: 物体テストにおいて両方のアセチルコリン神経細胞除去群とも新しい物体を見分けられる:連続物体探索課題の物体テストでは、内側中隔のアセチルコリン神経細胞を除去したマウスとマイネルト基底核のアセチルコリン神経細胞を除去したマウスの両方が、コントロール群と同様に、以前からある物体よりも新しい物体に対する探索量が増えました。これは、どちらのアセチルコリン神経細胞が除去されても、何度も見た物体に関しては見たことがあるものがどれなのかがわかったということです。

【図2】連続探索課題において、内側中隔アセチルコリン細胞を除去すると物体の位置が思い出せなくなる
A: 連続物体探索課題:円い広場に5つの互いに異なる物体を置き、マウスに自由に探索させます。この探索を何度も繰り返すとマウスは物体に慣れて、徐々に物体に接触する回数が減少します。次の空間テストで2つの物体の位置を変えると、正常なマウスは動いた物体に対してのみ好奇心を復活させ、また触って探索するようになります。最後の物体テストでは、ひとつの古い物体を全く新しい物体と交換します。正常なマウスは以前からある物体に対する探索量は少ないままですが、新奇な物体に対して頻繁に探索するようになります。
B: 空間テストにおける内側中隔アセチルコリン神経細胞除去群の障害:内側中隔にあるアセチルコリン神経細胞が正常なコントロール群では、空間テストで移動した物体への探索量がそのままの物体への探索量よりも多かったのですが、同細胞を除去したマウスは、移動した物体への探索量が増加しませんでした。内側中隔のアセチルコリン細胞の損傷によって、空間に関する再認記憶が障害され、空間テストで移動された物体がどれであったかがわからなくなったのです。
C: 物体テストにおいて両方のアセチルコリン神経細胞除去群とも新しい物体を見分けられる:連続物体探索課題の物体テストでは、内側中隔のアセチルコリン神経細胞を除去したマウスとマイネルト基底核のアセチルコリン神経細胞を除去したマウスの両方が、コントロール群と同様に、以前からある物体よりも新しい物体に対する探索量が増えました。これは、どちらのアセチルコリン神経細胞が除去されても、何度も見た物体に関しては見たことがあるものがどれなのかがわかったということです。

 

【図3】 単回探索課題において、内側中隔アセチルコリン細胞を除去すると物体の位置が思い出せなくなり、マイネルト基底核アセチルコリン細胞を除去すると物体自身のことが思い出せなくなる A: 単回物体探索課題:四角い広場に2つの同じ物体を置き、マウスに自由に探索させます。その後、少し時間(遅延)をおいてから、空間テストでは1つの物体の位置を変え、物体テストでは1つの物体を違う物体と交換します。空間テストでは、マウスは動いた物体に対して探索を復活させます。物体テストでは、マウスは新奇な物体に対して頻繁に探索するようになります。 B: 空間テストにおける内側中隔アセチルコリン細胞除去群の障害:空間テストにおいて、内側中隔にあるアセチルコリン神経細胞を除去したマウスは、移動した物体の探索をあまり行いませんでした。マイネルト基底核にあるアセチルコリン型神経細胞を除去したマウスは、正常なコントロール群と同じように、移動しない物体にはあまり近づきませんでしたが、移動した物体には頻繁に近づいて探索しました。これは、内側中隔のアセチルコリン細胞の欠落によって、空間に関する再認記憶が障害され、空間テストで移動された物体がどれであったかがわからなくなったために起こったことです。 C:物体テストにおけるマイネルト基底核アセチルコリン細胞除去群の障害: 物体テストにおいて、マイネルト基底核にあるアセチルコリン神経細胞を除去したマウスは、新奇な物体の探索をそれほど行いませんでした。内側中隔にあるアセチルコリン型神経細胞を除去したマウスは、コントロール群同様、新奇な物体を頻繁に探索しました。マイネルト基底核の欠落によって、物体そのものに関する再認記憶が障害され、一度見たことがあるはずの物体がどちらであったかがわからなくなることが明らかになりました。

【図3】 単回探索課題において、内側中隔アセチルコリン細胞を除去すると物体の位置が思い出せなくなり、マイネルト基底核アセチルコリン細胞を除去すると物体自身のことが思い出せなくなる
A: 単回物体探索課題:四角い広場に2つの同じ物体を置き、マウスに自由に探索させます。その後、少し時間(遅延)をおいてから、空間テストでは1つの物体の位置を変え、物体テストでは1つの物体を違う物体と交換します。空間テストでは、マウスは動いた物体に対して探索を復活させます。物体テストでは、マウスは新奇な物体に対して頻繁に探索するようになります。
B: 空間テストにおける内側中隔アセチルコリン細胞除去群の障害:空間テストにおいて、内側中隔にあるアセチルコリン神経細胞を除去したマウスは、移動した物体の探索をあまり行いませんでした。マイネルト基底核にあるアセチルコリン型神経細胞を除去したマウスは、正常なコントロール群と同じように、移動しない物体にはあまり近づきませんでしたが、移動した物体には頻繁に近づいて探索しました。これは、内側中隔のアセチルコリン細胞の欠落によって、空間に関する再認記憶が障害され、空間テストで移動された物体がどれであったかがわからなくなったために起こったことです。
C:物体テストにおけるマイネルト基底核アセチルコリン細胞除去群の障害: 物体テストにおいて、マイネルト基底核にあるアセチルコリン神経細胞を除去したマウスは、新奇な物体の探索をそれほど行いませんでした。内側中隔にあるアセチルコリン型神経細胞を除去したマウスは、コントロール群同様、新奇な物体を頻繁に探索しました。マイネルト基底核の欠落によって、物体そのものに関する再認記憶が障害され、一度見たことがあるはずの物体がどちらであったかがわからなくなることが明らかになりました。

 

【結果】

正常なマウスもアセチルコリン細胞を除去したマウスも広場や物体に対する慣れには異常がありませんでした。しかし、内側中隔のアセチルコリン神経細胞を損傷したマウスでは、連続物体探索課題でも単回物体探索課題でも、物体そのもののことは覚えていましたが、物体の置かれていた位置を覚えていないことがわかりました図2,図3)。一方、マイネルト基底核のアセチルコリン神経細胞を除去したマウスは、物体の置かれていた位置については覚えていましたが、単回探索課題において、物体そのものを覚えていませんでした図2,図3)。アセチルコリン細胞を除去したマウスの再認記憶障害は、リバスチグミンやドネペジルといった、抗認知症薬(アセチルコリンの分解酵素の阻害薬)で回復させることができました(図4, 図5)。

【図4】抗認知症薬を投与すると、連続探索課題における内側中隔アセチルコリン細胞を除去したマウスの空間認識に関する記憶障害が回復する A: 抗認知症薬投与と連続物体探索課題実施の流れ:マウスの内側中隔アセチルコリン神経細胞を除去した後、腹腔内にドネペジル(低濃度: 2μmol/kg、高濃度: 4μmol/kg)とリバスチグミン(低濃度: 2μmol/kg、高濃度: 4μmol/kg)、または生理食塩水を投与し、連続物体探索課題を行いました。 B: 薬剤投与による空間認識に関する記憶障害からの回復:内側中隔にあるアセチルコリン神経細胞を除去したマウスに生理食塩水を投与しても、移動した物体への探索量が増加しませんでした。しかし、ドネペジルやリバスチグミンを投与すると、除去マウスが移動していない物体よりも移動した物体に頻繁に近づいて探索するようになりました。これは、内側中隔のアセチルコリン細胞の損傷によって空間に関する再認記憶が障害されていたのにも関わらず、アセチルコリン分解酵素の阻害薬である抗認知症薬の投与によって、その記憶機能が回復し、空間テストで移動された物体がどれであったかがわかるようになったということです。

【図4】抗認知症薬を投与すると、連続探索課題における内側中隔アセチルコリン細胞を除去したマウスの空間認識に関する記憶障害が回復する
A: 抗認知症薬投与と連続物体探索課題実施の流れ:マウスの内側中隔アセチルコリン神経細胞を除去した後、腹腔内にドネペジル(低濃度: 2μmol/kg、高濃度: 4μmol/kg)とリバスチグミン(低濃度: 2μmol/kg、高濃度: 4μmol/kg)、または生理食塩水を投与し、連続物体探索課題を行いました。
B: 薬剤投与による空間認識に関する記憶障害からの回復:内側中隔にあるアセチルコリン神経細胞を除去したマウスに生理食塩水を投与しても、移動した物体への探索量が増加しませんでした。しかし、ドネペジルやリバスチグミンを投与すると、除去マウスが移動していない物体よりも移動した物体に頻繁に近づいて探索するようになりました。これは、内側中隔のアセチルコリン細胞の損傷によって空間に関する再認記憶が障害されていたのにも関わらず、アセチルコリン分解酵素の阻害薬である抗認知症薬の投与によって、その記憶機能が回復し、空間テストで移動された物体がどれであったかがわかるようになったということです。

 

【図5】抗認知症薬を投与すると、単回探索課題において、内側中隔細胞除去による空間認識に関する記憶障害およびマイネルト基底核細胞除去による物体認識に関する記憶障害が回復する A: 抗認知症薬投与と単回物体探索課題実施の流れ:マウスの内側中隔アセチルコリン神経細胞とマイネルト基底核アセチルコリン神経細胞をそれぞれを除去した後、腹腔内にドネペジル(低濃度: 2μmol/kg、高濃度: 4μmol/kg)とリバスチグミン(低濃度: 2μmol/kg、高濃度: 4μmol/kg)、または生理食塩水を投与し、単回物体探索課題を行いました。 B: 薬剤投与による空間認識に関する記憶障害の回復:空間テストにおいて、内側中隔にあるアセチルコリン神経細胞を除去したマウスは、生理食塩水を腹腔内投与されても、移動した物体の探索を増加させることはありませんでした。しかし、抗認知症薬を投与すると、移動した物体のみに頻繁に近づいて探索しました。これは、内側中隔のアセチルコリン細胞の欠落によって障害された空間に関する再認記憶機能が、抗認知症薬の投与によって回復し、空間テストで移動された物体がどれであるのかをマウスがわかるようになったということを意味します。 C:薬剤投与による物体認識に関する記憶障害の回復: 物体テストにおいて、マイネルト基底核にあるアセチルコリン神経細胞を除去したマウスは、生理食塩水投与下では、新奇な物体の探索が頻繁ではありませんでした。しかし、抗認知症薬を投与すると、除去マウスは、正常群群と同様に、新奇な物体を頻繁に探索するようになりました。これは、マイネルト基底核の欠落によって、物体そのものに関する再認記憶が障害されたにもかかわらず、抗認知症薬を投与することで、この再認記憶障害から回復し、一度見たことがある物体がどれであるかがわかるようになったということを示しています。

【図5】抗認知症薬を投与すると、単回探索課題において、内側中隔細胞除去による空間認識に関する記憶障害およびマイネルト基底核細胞除去による物体認識に関する記憶障害が回復する
A: 抗認知症薬投与と単回物体探索課題実施の流れ:マウスの内側中隔アセチルコリン神経細胞とマイネルト基底核アセチルコリン神経細胞をそれぞれを除去した後、腹腔内にドネペジル(低濃度: 2μmol/kg、高濃度: 4μmol/kg)とリバスチグミン(低濃度: 2μmol/kg、高濃度: 4μmol/kg)、または生理食塩水を投与し、単回物体探索課題を行いました。
B: 薬剤投与による空間認識に関する記憶障害の回復:空間テストにおいて、内側中隔にあるアセチルコリン神経細胞を除去したマウスは、生理食塩水を腹腔内投与されても、移動した物体の探索を増加させることはありませんでした。しかし、抗認知症薬を投与すると、移動した物体のみに頻繁に近づいて探索しました。これは、内側中隔のアセチルコリン細胞の欠落によって障害された空間に関する再認記憶機能が、抗認知症薬の投与によって回復し、空間テストで移動された物体がどれであるのかをマウスがわかるようになったということを意味します。
C:薬剤投与による物体認識に関する記憶障害の回復: 物体テストにおいて、マイネルト基底核にあるアセチルコリン神経細胞を除去したマウスは、生理食塩水投与下では、新奇な物体の探索が頻繁ではありませんでした。しかし、抗認知症薬を投与すると、除去マウスは、正常群群と同様に、新奇な物体を頻繁に探索するようになりました。これは、マイネルト基底核の欠落によって、物体そのものに関する再認記憶が障害されたにもかかわらず、抗認知症薬を投与することで、この再認記憶障害から回復し、一度見たことがある物体がどれであるかがわかるようになったということを示しています。

 

【考察】

これまで、アセチルコリンの記憶に関する役割に関しては、様々な可能性が指摘されていたにも関わらず、詳細が定かではありませんでした。今回の研究によって、中隔と海馬を結ぶアセチルコリン神経細胞は場所の認識に関わる記憶に重要な役割を持ち、マイネルト基底核と大脳皮質を結ぶアセチルコリン神経細胞は物体自身の認識に関わる記憶に必須であることが示されました。2種類のアセチルコリン神経細胞は別々のタイプの再認記憶を分担して調節していることが初めて証明されました。

以上の研究は、今後、アルツハイマー型認知症など記憶機能に重篤な障害を示す脳神経疾患の病態の解明や、疾患の改善につながる治療薬の開発・応用に結び付くものと期待されます。