公募研究

山中 章弘(名古屋大学)

「視床下部MCH神経脱落による機能シフトは記憶力を向上させる」

メラニン凝集ホルモン(MCH)は、元々魚類において同定されたペプチドであり、皮膚にあるメラニン産生細胞を凝集させて体色を白色に変化させる作用をもつことから命名された。ほ乳類では体色変化には関与していないが、MCH遺伝子は種を超えて大変良く保存されている。このことはMCHが重要な生理機能に関与していることを示唆しているものの、未だに生理的役割が解明されていない。MCH受容体はGタンパク質共役型のMCH1RとMCH2Rが知られており、マウスにはMCH1Rのみが存在する。MCH神経は、視床下部外側野だけに少数が存在し、マウスでは約8,000個の細胞体が疎らに分布する。しかし、そこから脳内のほとんどの領域に幅広く軸索を投射している。これまでに合成したMCHペプチドを脳室内に投与すると摂食行動を強力に惹起すること(Qu et al., Nature 1996)、MCH遺伝子の欠損マウスでは摂食量の減少と体重減少が認められることなどから(Shimada et al., Nature 1998)、長らくMCHは摂食行動を調節する因子と考えられてきた。しかしながら、近年の研究から睡眠覚醒調節における作用に注目が集まってきている。MCH欠損マウスのノンレム睡眠が減少していること(Willie et al., Neuroscience 2008)、また、MCH神経細胞がレム睡眠時に活動が上昇することが相次いで報告された(Hassani et al., PNAS 2009)。申請者らは2014年に、光遺伝学を用いたMCH神経の活性化によって、ノンレム睡眠からレム睡眠に移行することを報告した。しかし、MCH神経活動の抑制や、MCH神経だけを時期特異的に脱落させたマウスではレム睡眠時間は全く変化しなかった。このことから、MCH神経はレム睡眠調節自体ではなく、レム睡眠に関連した機能に関わっている可能性が示唆された(Tsunematsu et al., J Neurosci 2014)。そこで、改めてMCH神経の投射パターンと、MCH受容体の発現を組織化学的に解析したところ、海馬においてMCH神経軸索終末が密に観察されること、MCH受容体MCHR1が海馬において強い発現が認められることから、海馬における作用について解析を行った。MCH神経特異的脱落マウスを用いて認識記憶を評価する新奇物体認識試験を行ったところ、MCH神経脱落マウスの記憶が非脱落マウスと比較して有意に向上しているという大変興味深い結果を見いだした(図1参照)。これらの結果から、レム睡眠中にMCH神経が活動すると、記憶の形成を阻害していることを示しており、脳には積極的な記憶の消去メカニズムが存在する可能性を強く示唆している。そこで、本研究では、MCH神経脱落により、神経回路の機能シフトが生じ、記憶が向上するメカニズムについて分子レベル、神経回路レベルにおいて明らかにすることを目的としている。また、空間学習記憶や恐怖記憶を評価する行動実験では、睡眠中に記憶を抑制・消去する神経の生理的な役割について検討を行う。

 

 
最近の主要論文
1. Chowdhury S and *Yamanaka A: Optogenetic activation of serotonergic terminals facilitates GABAergic inhibitory input to orexin/hypocretin neurons Sci Rep 6:36039 (2016).

2. Miyamoto D, Hirai D, Fung CC, Inutsuka A, Odagawa M, Suzuki T, Boehringer R, Adaikkan C, Matsubara C, Matsuki N, Fukai T, McHugh TJ, Yamanaka A, *Murayama M: Top-down cortical input during NREM sleep consolidates perceptual memory. Science 352(6291): 1315-1318 (2016).

3. Inutsuka A, Yamashita A, Chowdhury S, Nakai J, Ohkura M, Taguchi T, *Yamanaka A: The integrative role of orexin/hypocretin neurons in nociceptive perception and analgesic regulation. Sci Rep 6: 29480 (2016).

投稿日:2017年05月08日