震災以降の記録

2011 3/11|東日本大震災発生

福島市は震度6の揺れに襲われ、市内全域が断水にみまわれた。
福島医大病院は、倒壊や人的被害はなく、物的被害も軽微だったが、断水した。
院内では揺れが続く中、災害傷病者の受け入れ準備を開始した。

緊急治療室に集まる医療スタッフと患者を受け入れる準備をする様子。

2011 3/12|1号機爆発

緊急被ばく医療の準備開始

放射線被ばく汚染・放射性物質汚染事故に備え、放射線科医師・技師が除染(現放射線災害医療センター)に待機。

放射線科医師と技師が除染作業に備え、待機している医療現場の様子。

放射線汚染の線量測定に備えGMサーベメーター等の計測機器を準備。

医療現場で計測機器を準備する医療スタッフの様子。放射線汚染の線量測定に備えている。

2011 3/13|大量傷病者の受入態勢

病院1Fロビーに搬送傷病者収容用ベットを準備。

病院の1階ロビーに並べられた搬送傷病者収容用ベッド。

2011 3/14|3号機爆発

緊急被ばく医療開始

外来診療一時休止
原発事故による傷病者の受入れにより緊急被ばく医療開始。

緊急医療の現場で、医療スタッフが患者を搬送している様子。防護服を着た医療従事者が協力している。

2011 3/15|2号機・4号機爆発

原発内で傷病者発生

前日に続き、原発内で発生した水素爆発による傷病者の除染と治療に当たる。

医療現場で水素爆発による傷病者の除染と治療を行う医療スタッフの様子。

陸上自衛隊が院内常駐開始

夕方より自衛隊中央特殊武器防護隊103部隊が常駐を開始し、患者搬送、除染、スクリーニング等を行った。これにより、被ばく医療の質が格段に向上した。
「自衛隊の皆様に感謝です!」

自衛隊の特殊車両が並ぶ駐車場の風景。青空の下、医療支援の準備が整えられている様子。

2011 3/16

広島・長崎大学の緊急被ばく医療チーム

福島に支援に来て下さっていた広島・長崎大学の緊急被ばく医療チームが、自衛隊ヘリで原発(大熊町グランド)へ被ばく傷病者の搬送に向かう。

緊急被ばく医療チームのメンバーが自衛隊ヘリに搭乗し、原発へ向かう準備をしている様子。

物流停止

院内のコンビニから食料品が完全に消える・・・
一方で、この頃から全国からの支援物資が続々到着。
「全国の皆様、ありがとうございました!」

震災後の院内コンビニの空になった食料品棚、支援物資の到着を待つ状況。

2011 3/17

被ばく傷病者受け入れ訓練開催

今この瞬間にも新たな傷病者が発生する可能性が高い中、院内職員を対象に震災後初の被ばく傷病者受け入れ訓練を実施し、役割分担の再確認を行った。

震災後の被ばく傷病者受け入れ訓練を受ける医療スタッフと患者の様子。

2011 3/18

院内講演会開催
断水の復旧

院内職員へのクライシスコミュニケーションを目的に、放射線線影響に関する講演会を実施した。
このころ、断水もようやく復旧した。(院内供給は19日から開始)

院内職員向けの放射線影響に関する講演会の様子。講師がスライドを使って説明している。

2011 3/19

緊急被ばく医療支援チーム

14日に福島入りした長崎医療チーム先遣隊から後任の日赤長崎チームへ引き継ぎが行われた。
ちなみに、右手前が後に当センター部長となる大津留教授。

医療チームのメンバーが会議室で引き継ぎを行っている様子。

2011 3/20

院内放射線スクリーニング

医大病院玄関では避難区域からの来院者へ放射線スクリーニングが行われた。

医大病院の玄関で、放射線スクリーニングを受ける来院者と医療スタッフ、及び自衛隊員の様子。

2011 3/19 〜21

大規模広域医療搬送

被災地域医療機関から福島医大経由での転院搬送が相次いで行われた。

震災後の医療搬送を行うヘリコプターと救急車、医療スタッフが患者を運ぶ様子。

自衛隊・緊急消防援助隊車両、海上保安庁、自衛隊、消防ヘリコプターの協力のもと、新潟、群馬などに多くの患者さんを医療搬送。

自衛隊や消防車両が並ぶ医療搬送の様子、緊急支援活動の一環。

2011 3/24

第一原発3号機地下で作業員3人が下腿の放射性物質汚染

受け入れ態勢を整え、傷病者の到着を待つ緊急被ばく医療班のメンバー。

緊急被ばく医療班のメンバーが、傷病者の到着を待ちながら準備を整えている様子。

2011 3/25〜

多職種ミーティングの開催

緊急被ばく医療班では、災害初期より情報の共有化と放射線知識の習得を目的に、多職種間ミーティングと放射線のミニレクチャーが行われ、現在も継続している。

緊急被ばく医療班のミーティング風景。医療従事者が情報共有と放射線知識の習得に取り組んでいる様子。

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