FUKUSHIMAいのちの最前線
394/608

388後方支援病院の経験から日100tあまりの給水をいただいたが,1週間目にはほぼ貯水量が底をつく状態であった. 患者用食糧は3日分,医薬品や酸素をはじめとする医療ガス,検査試薬などは7日分程度の備蓄があった.診療制限を行ったこともあり,食糧,医薬品や医療ガスは不足をきたすことはなかったが,検査試薬は生産工場の被災などによって不足気味であった.また断水のため,ボトル飲料水で炊飯を行い,ラップを敷いて洗浄をしないようにするなど,給食の工夫が必要であった. 震災後8日目に水道が復旧し,外来は予約外来から,入院患者の手術なども中止された予定のものから再開した.以後,通常の病院機能を回復するまでには約3週間を要した.このころにはガソリン不足が深刻となり,本院が郊外に立地しているため,職員の通勤手段の確保に苦慮した. 1.緊急被ばく医療 本院は二次被ばく医療機関に指定されており,震災翌日から発生した原発事故に関連して被ばく傷病者を受け入れた.本院に搬送された受傷者は8名であったが,いずれも被ばくは高度でなく,除染,創部の処置後に放射線医学研究所等に転院となった.その後も原発事故収束に向けての作業が遂行されており,本院でも汚染傷病者発生に備えて24時間体制で待機し,大規模災害に備えてシミュレーションを行っているが,幸いなことに原発内,近隣の医療設備も整備され,除染を必要とする傷病者の発生はない. 2.避難患者の中継搬送 原発事故当日から周囲に退避指示が発令され,4日後には半径30㎞まで拡大された.退避圏内の医療機関には当時1,300名あまりの患者が入院しており,政府主導で避難が行われた.当初,患者は福島県の西部に移送されたが,その収容能力も限界に達したため,その後は県外に移送されることになった.本院は,前述のように断水していたために多くの患者を受け入れることができず,県内・県外への移送中継点として機能した.自衛隊や消防などのヘリコプター,救急車,バスなどで数十人単位で搬送されて原発事故対応図3 福島県医療支援体制 県知事,医大理事長のもとに福島県医療総合調整会議を設置して情報の共有化を図り,各医療機関に指示を出すことによって役割分担を明確化した.県知事:県災害対策本部調整会議長(医大理事長)県医療支援調整本部・医大災対本部県医師会,日本赤十字,医大,教育庁,保健所,各医師会,各赤十字,歯科医師会,県薬剤師会,県看護協会東日本震災に係わる福島県医療総合調整会議副知事,県災害医療調整医監,県保健福祉部長,県立医科大学長,県立医科大学附属病院長,県医師会長,県歯科医師会長,県病院協会長,県看護協会長,県薬剤師会長,その他会長が必要と認める者報告指示②残留患者支援(30㎞圏内)要望・報告要望・報告(現場の状況など)指示・派遣③病院支援避難周辺地域基幹病院(いわき,相馬)県内中核病院(郡山,福島,会津,白河)要望・報告指示・派遣①避難場支援(30㎞圏外)要望・報告指示・派遣要望・報告まとめ・指示依頼指示(派遣人数,場所など)協力施設○○病院○○大学○○診療所

元のページ 

10秒後に元のページに移動します

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer9以上が必要です